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長編・朧月夜、第九章(3)を更新しました。

…だいぶ期間が空いちゃってすみませんでした。(4)は…今1000文字分清書し終わってます。多分全部で3000文字以上行きそうだなーと目処はついとります。11月中に上げたいですね。

そしていい加減戦闘に疲れてきた!飽きた!(オイ)

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 時は少し遡る。
 示された綻びの場所へと皆が無言で駆ける中、昌浩はだんだんと顔色を悪くしていた。紅蓮が神足の速度を落とし覗き込むと、彼は青い顔で喉元を押さえ、か細い呼吸を続けていた。
 先程奪った生気だけでは足りなかったのだろうか。残された自分の体力を考えながら、紅蓮は抱いた腕の力を強めた。
「……やはりお前、まだ」
 回復が十分ではなかったのか、そう尋ねようとした。が、言葉は痛みで潤んだ眼差しに遮られた。
「――そうじゃ、ない」
 切れ切れに小さな答えが返る。「りょうじゅが……、」言って、彼は咳きこんだ。跳ねる小さな体を押さえこみ、紅蓮は思わず口走った。
「お前は戦うな」
 人間たる丞按の排除にどうしても昌浩が必要なことは重々承知していた。彼の力に頼らざるを得ないことも。それでも、この状態の彼を戦闘に参加させたくはなかった。
 だが、彼は首を横に振った。
「……何故」
 心のどこかで、自分の言葉なら受け入れてくれるだろうと考えていた紅蓮は衝撃を受けた。自覚すらしていなかった淡い期待。裏返せばそれはできたばかりの昌浩への信頼だったが――それを裏切られて、紅蓮はすっと心が冷えていくのを止められなかった。
「俺の仕事だから。……平気だよ」
 紅蓮の胸に頬を寄せて、細い声が答えを返す。痛みを堪えているのか、咳が治まっても昌浩は微かに表情を歪ませていた。
 到底信じられるような言葉ではない。けれど拒否された以上、紅蓮にはどうすることもできないのだ。――昌浩の代わりに丞按を殺すなど、できるわけがない。
 それを知っていて拒んだのだろうか。それが彼の思いやりだというのだろうか。
 喉元までこみ上げた詰問をなんとか呑み下した、その時だった。
「――いた」
 ぼそりと声が落ちた。
 訝しむ暇など欠片もない。さやかに過ぎる呟きが耳に届いた時にはもう、瞬き一つの時間で閃光が周囲を満たしていた。
 光が留まっていたのもまた僅かな間だった。網膜に赤い軌跡を描いて光の雨は前方へと一直線に突き進み――遠くでうずくまっていた何かを直撃した。ぎょっとした仲間たちが振り返る。
 放たれた十数個の拳大の光弾は半ば地面を抉り取り、そこにいた人間を結界ごと吹き飛ばしていた。
 容赦など微塵も存在してはいなかった。
 呆然としていた紅蓮の耳朶を、静謐な声が叩いた。
「下ろして」
 抗い難い何かがあった。
 自然と足が止まる。轡を嵌められたように声を出せぬ紅蓮の身体は、手綱を引かれた馬の如く従順に従った。
 言霊が込められているわけでもない単純な言の葉。拘束力などまるでないはずなのに、身体は操られて動いてしまう。その原動力がどこにあるのかわからず、紅蓮は困惑した。
 細い肢体が両腕から逃れ、するりと前へ歩を進める。直進――振り返った式神たちの間を抜け、俯せに倒れ動かない丞按へと。迷いなく。
 儚さなど消え失せて。
「手を出すな。……丞按は俺がやる」
 砂塵に紛れて皆の耳に届いたのは、感情という感情を削ぎ落とした、無機質な殺意だった。
 姿形はどこも変わっていない。その後ろ姿も、発する霊力の波動も。にも関わらず、目の前の少年はまるで知らない誰かのようだった。
 ほんの少し前に耳にしたばかりの彼の声が、もう思い出せない。
 無意識に紅蓮は呻いた。
 どんな者であれ、彼は人間を傷つけることを忌避していた。丞按に対してすら、なるべくなら殺さずにすませたいという手心が透けて見えた。こんなに真っ直ぐな敵意を抱いてはいなかった。
 その理由を尋ねたわけではない。が、推し量るのは簡単だった。
 彼は骨身に染みて知っているのだろう。人間という生き物がどれだけ壊れやすいのか、簡単に死に至る弱い生物かということを。
 実際に手をかけた紅蓮とは真逆の方法で。
 それを知っていながら――彼は自分自身にかけたはずの枷を今、取り除いている。

(ああ――)

 昌浩は、丞按を殺そうとしている。
 晴明が彼に下した命を知らないわけではなかった。十二神将たちでは手を出せない丞按に対し攻撃を加えるのが彼の役目だった。彼自身も納得し従っていた命令で、神将たち皆が昌浩に期待を寄せていた。紅蓮ですら例外ではなかった。
 だがどうだ、今まさに丞按を殺すべく歩みを進める彼の眼は。
 冷たく凝った闇がしんしんと触手を伸ばすように、昌浩の小さな身体から溢れ出る霊力が周囲を満たしていく。図らずも、その波動は仇敵たる凌壽によく似ていた。
 殺意に侵された黒い瞳はただ丞按だけを見据えている。
 彼に理はない。そのはずだった。だから昌浩だけが丞按を害すことができると誰もが考えていた。
 体のいい生け贄として身代わりに使った彼に、理よりも重い心の枷が嵌められているなど気づきもしないで。
 紅蓮を庇って丞按に殺され、その守るべき紅蓮の命を得て甦ったが故に、昌浩は丞按を憎んでいる。
 枷を取り除いてしまっている。
 このまま彼の思うままに力を奮わせたとして――枷を外した反動が昌浩の心にどのような傷痕を残すのか、考えたくもなかった。
 そしてきっと幸福な結末を迎えることはないと確信できるのに、紅蓮には彼を止めるだけの理由が存在しないのだ。心はこんなにも大声で叫んでいるというのに。
 昌浩の手を血で汚すなと。

 そのはずなのに。

 突如、空間そのものが高い音を立てて軋んだ。同時に昌浩の周りに光矢が十本浮かび上がる。一呼吸する暇もなく、それらは輝く光の帯と化しぴくりとも動かない丞按へと放たれた。
 が、直前にその体を守るようにして地面から何かが起き上がった。矢は全て壁となったそれに防がれ、耳障りな獣の悲鳴が空気をつんざく。幻妖に身を挺して防がせた丞按は、召還の印を結んだまま素早く立ち上がった。
「馬鹿な、本当に生きているだと……!」
 背後から突き刺した錫杖は、確かに致命傷を負わせたはずだった。激痛に声もなくくずおれ、この幼い天狐は虫の息になっていた。よく見れば天狐の衣装は帯に穴が空いていたが、傷口は見えず、血も一滴たりとて流れてはいなかった。
(化け物め)
 なんというしぶとさか。凌壽の話にあった通り、この状況で仲間の命を喰らって生き延びたのか。だとしたら神将は弱体化しているかもしれない。まだ丞按に活路は残されていた。
 印に応えて幻妖たちが異界へ召還される。それを横目に認めて、六合は気を失ったままの中宮を地面へ下ろした。
「露払いをする。騰蛇は中宮を守れ」
「なに?」
 眉間の皺を深くして睨みつける紅蓮に、勾陳が口を挟んだ。
「お前だと勢い余って丞按まで殺してしまいそうだからだよ。援護は頼んだ」
 言うや否や返答も待たず、筆架叉を両の手に収めて勾陳は駆けだした。六合もすぐにその後を追っていってしまう。残された紅蓮はちっと舌打ちして、固い砂の上に寝かせられた中宮の前に出た。
 掌に炎蛇を招きながら、苦い焦りを抱く。
 昌浩が死んだと思ったさっきは、理など糞食らえだと感じていた。途轍もない怒りが、紅蓮にそれだけの力を与えていた。それが――今や影も形もなく、紅蓮はまた理を犯す恐怖に怯えている。
 昌浩の代わりに丞按を殺す勇気もない。彼を救う手段がどこにも見つからない。救ってやりたいと今し方望んだばかりなのに、ふがいない自分に失望する。たった一人を救うこともできず、何が十二神将最強だ――そう心中で罵っても、事態が変わるわけでもない。
 歯軋りしながら、紅蓮は召還した炎蛇を幻妖めがけて解き放った。
 同朋たちもまた幻妖の数を減らそうと奮闘している。昌浩は彼らの後ろに陣取り、ずっと奥に佇む丞按を睨みつけているようだった。
 印を結んだまま、じりじりと丞按が動いた。四丈ほど離れた場所にある空間の亀裂ににじり寄っていく。けれども昌浩がすっと指をさした途端、その身に途轍もない重圧がのしかかった。みしりと関節から異音が響き、丞按が呻く。
「ぐっ……!」
「逃がすと思うな」
 低く落とされた呟きは、闘いの騒音に紛れることなく全ての者に届いた。含まれた冷たさにぞっとしながらも、紅蓮は炎蛇を操り向かってくる幻妖を薙ぎ払った。
 法具である錫杖を失っている為か、幻妖は以前よりも倒しやすかった。おかげで召還され増えていく速度よりも紅蓮たちが倒す速度のほうが上回っている。召還印を崩せない丞按は他の手段を取ることもできず、消耗していくばかりだ。さらに術で拘束され、逃げ場もない。
 ついに左肩から一際大きな異音が響き、僧の精悍な顔に脂汗と苦痛が浮かんだ。関節が負荷に耐えかねて悲鳴を上げている。それでも綻びに接近しようと足掻いていた足が、ぴたりと止まった。
 かけられていた術は一つではなかったのだ。いつの間にか不可視の結界に囚われ、身動きができない。
「―――!」
 丞按の表情が憤激に彩られた。ぎらりと光る眼差しが昌浩へと向けられる。
 どう考えても今の丞按に勝ち目はなかった。霊力は既に残り少なく、枯渇の時は近い。逃げることもできないのであれば、後は嬲られるのを待つばかりだ。

 今の状態では。

 丞按の視線が昌浩を逸れ、さらにその後方へと向けられた。炎を操る神将が背後に庇っている、姫へ。藤原の娘へ。
 あの娘さえ手に入れられればよいのだ。
 その為なら自分の身体などどうなっても構わなかった――とうに復讐に捧げた身など、ここでその目的を成就させるのであれば朽ちても構わなかった。

 だから、彼は呼んだ。
「羅刹……!」
 身の裡に封じていた魔物の名を。
 解放する。

 瞬間、五臓六腑を焼き尽くす激痛が丞按の全身を走り抜けた。内腑が灼痛に満たされ喉元までせり上がる。血管という血管を、血液ではない何かが循環していく。眼窩から、鼻腔から、口腔から、体中の穴という穴から熱風が吹き出して止まらない。
 魂が浸食されていく痛みだった。
 丞按の肌を焼きながら妖気が噴出していく。次第に拡散していくそれに、昌浩たちはもちろん気づいていた。
 昌浩が真っ先に丞按にかけていた術の威力を強めた。とうとう圧力に負けて、丞按の片足ががくりと折れる。顔を上げた僧の口元からは赤い液体が一筋零れ――
 だというのに、彼は凄絶な笑みを浮かべていた。
 昌浩が表情を歪めた。間に合わないことを察したからだった。
 黒い羽虫か煤にも似た妖気が意思を持つもののように空気中をうねり、幻妖へ到達する。醜い獣の毛皮にべとりとくっついたかと思うと、妖気はすうと消えて色を失くした。
 幻妖が一際大きな唸り声を上げた。劣勢を強いられていた獣たちの肉体が、みるみるうちに膨らんでいく。頸部に切っ先を突き込もうとしていた六合の鉄面皮が揺らいだ。幻妖の体躯は一回りほど大きくなり、その一撃では到底倒せそうにはなかったからだ。鍛えた鋼を寄り合わせたような四肢がさらに太くなり、牙も爪も鋭さを増している。濁った瞳がぎらりと赤く光り、六合に飛びかかった。
「………!?」
 獣の攻撃に反応して反撃の穂先が下段から跳ね上がる。つい先程までだったら獣の体を断ち割ることができただろうその槍は顎を砕くだけに終わり、使い手は柄を引き戻さざるをえなかった。
 勾陳も同じ結果に終わっていたようだ。彼女の筆架叉すらも通さぬ肉体を獲得した幻妖は、がちがちと牙を鳴らして神将たちを威嚇した。その後ろで、印を結んだままの丞按の影から――妖気に接触されて汚染された地面から、幻妖が数を増やしていく。漏れ出る妖気の拡散は留まるところを知らない、かのように見えた。
 突然、ぱぁんと乾いた音が響いた。
 空気中の妖気が瞬時に祓われる。それだけではなく、丞按から吹き出ていた謎の妖気の流出も止まっていた。穢れてしまった地面も一瞬にして浄化され、異空間の只中にあって清浄な空気が戻ってくる。
 柏手一つで妖気を祓った昌浩は、険しい眼差しで丞按を見据えていた。
 術を同時に複数行使するには限界があった。結界と縛魔術の維持の為には、それ以外に集中をするわけにはいかなかった。――そう、柏手一つ打つにしても。
 それが妖である昌浩の限界だった。
 丞按にかけていた術を解いて打った柏手だったが、強化された幻妖の弱体化はできなかった。彼らの肉体自体が殻、外と内とを分ける結界となって浄化を阻止しているからだ。
 だが、これでもう数は増やせない。
 丞按が印を解いた。彼もそのことを理解していたのだ。
 召還はできない。であれば、丞按は他の方法を取らざるをえなかった。再び結界で拘束される前に、一番厄介な敵の排除が必要だった――すなわち、昌浩の排除が。
 幻妖の群の真ん中を割って、丞按が昌浩へと走った。はっとした勾陳と六合が対峙していた幻妖から離れようとする。けれど隙を突けずに終わり、立ち位置を変えられない。最も後方に位置し戦場全体を見渡せる紅蓮は丞按の意図に気づくと、思わず炎蛇を放とうとした。
 すかさず、
「騰蛇!」
 勾陳の怒声が飛んだ。紅蓮の動きが一瞬凍り付く。そうして紅蓮を制止しながら、彼女自身は、筆架叉を丞按めがけて投擲していた。
 もちろん勾陳に人間を傷つける意思はない。狙いはあくまで丞按の足下――進路を妨害し、昌浩に反撃の機会を与える為の牽制の一撃だった。
 しかし、澄んだ金属の音がそれを阻止した。
 丞按が走りざま懐から取り出した三鈷杵が、筆架叉を弾く。短い三つの刃に防がれ、筆架叉は離れた場所に突き刺さった。
 鈍く震える鋼の音が響く。その頃には、丞按は昌浩の目の前でとうに三鈷杵を振りかぶっていた。

長編・朧月夜、第九章(2)を更新しました。

いやー、これをポメラで書き終わって保存した後閉じようとしたらポメラが固まってものすごく心臓に悪い思いをしました。桂華さん、ご助言ありがとうございましたー。助かりました。6000字超えてるんでもし保存してなかったらと思うと…へへ、1週間は何も書く気が起こらないとこでしたよ…

あー、それと今回丞按さんが使ってる真言ですが、すみません。tacticsノベライズ1巻から引用させてもらいました。指摘される前に言っちゃうよ、パクリじゃないよ引用だよ。P150L17です。あしからず。

 勾陳はなるべく平坦に聞こえるよう口を開いた。
「帰るぞ、」
 素っ気ない響きが異空間に消える。苛立ちも怒りも彼女の中にはとうに存在しない。完全に平静を取り戻して、勾陳は現実を見据えていた。
「目的である中宮の奪還は果たした。幸い皆無事ときているし、こんな辛気くさい場所からはさっさと脱出すべきだろう。いつまでも留まっていると、やめろというのに乗りこんできそうなはた迷惑な主もいることだしな」
「……そうだな」
 年老いた主の顔を思い出しながら、紅蓮が首肯した。
 帰還が遅くなれば晴明は式神たちを案じるだろう。大体、異空間などに囚われているという時点で彼が離魂術を使ってきてもおかしくない。ここ数日はずっと体調が良さそうで、狩衣と狩袴を身に着けている日も多いが、確実に彼の天命は削られているのだ。
 大きな術を使えば使うほど、晴明の命は短くなる。
 忘れていないわけではなかった。
「昌浩、凌壽の位置を」
 凌壽をこの空間から排除しないことには帰り道が創られない、と話した昌浩の言葉を勾陳は忘れてはいなかった。そもそも最初は凌壽を探そうとしていたのだ。中宮に害をなそうとする丞按を発見したのはたまたまであり、使命を果たせたのは偶然の産物にすぎない。
 精彩を欠いたまま、子どもは緩慢に頷いた。が、すぐに顔をしかめて首を横に振る。
「……わからない」
「何?」
「まだ回復しきっていないのか?」
 紅蓮が心配そうに、細い肩に片手を乗せた。その様に勾陳と六合は目を丸くする。まったく、先程から驚いてばかりだ。騰蛇のこんな声音や表情など、ついぞ想像できなかった。
 昌浩は紅蓮から身を捩るように一歩離れ、焦ったように両手をぶんぶんと振った。
「身体はもういいんだ! いいんだけど……なんだかぼんやりしてて、」
「ぼんやり?」
「何が」
「その……。あいつの、が」
 ぎゅっと首が押さえられた。血を吸って真っ赤に染まった包帯を隠すように。昌浩は上手く言葉に表せないようで、神将たちを惑いながら見上げていたが、やがてこの地の果てを指さした。
「凌壽の居場所はよく分からないけど、あっちに綻びがある」
 空間の綻び。人界に戻るために必要な扉。この異空間に落とされた時にはなかったはずのもの。
 時が経つことによって自然発生したものかもしれない。そこから帰れるとは思う、と告げて、昌浩は眉尻を下げた。
「――あいつの罠かもしれないけど」
「その可能性はあるな」
 黙っていた六合が、少し眉を寄せて言った。
「丞按は気づいただろうか」

 その名に反応して昌浩の体が強ばった。
 神将たちは皆難しい顔をして考えこんでいた。昌浩に目を向けている者は誰もいなかった。だから、この時の変化に気づくことができなかった。
 後に紅蓮は後悔することになる。
 もし、この場で彼を注視していたら。未来という轍をなぞっていた、現在という名の車輪は脱線していたのだろうかと。
 新たな轍を刻んでいたのではないだろうかと。
 だが紅蓮は気づけなかった。それが事実で、全てだった。

 勾陳は長い睫を伏せて、予想される最悪の展開を計算しているようだった。
「……それもまた、わからないな」
 頭を振る。六合の指摘通り、可能性は十分にある。かと言って現状維持も得策ではない。今はとにかく行動すべき時だ。外部には頼れない、自分たちでどうにかするしかない。
 彼女は歩を進めると、結界の中に取り残したままの中宮を抱き起こした。顔色はあまり良くないが、意識を喪失したそもそもの原因は心的なものだ。丞按に傷を負わせられている様子もない。ああだこうだと詮索されたり悲鳴を上げられるよりは、抵抗もしないのでこの方が好都合だ。
 六合を呼ぶなり彼に中宮を預ける。彼は黙ったまま受け取った。凌壽が襲ってくる可能性がある以上、闘将二番手の腕が塞がっていてはお話にならない。騰蛇は論外だ。ならば六合にお鉢が回ってくるのは当然の帰結だった。
 腰に両手を置いて勾陳は一同を見渡した。
「とにかく今はそこへ向かうしかないだろう。その綻びとやらもいつまでもあるとは限らないしな」
 昌浩が指し示した先に向かって顎をしゃくる。
「ここに居続けたとしても、今内裏の神隠し騒ぎが大きくなるだけだ。晴明が祈祷に引っ張り出されてはかなわん」
「……そうだな」
 出された結論は尤もだった。肯いて、紅蓮は昌浩の顔を覗きこんだ。
 彼の背丈は紅蓮の胸下までしかないので、近すぎると逆に表情が読めない。紅蓮が屈まないと昌浩の顔が見えないのだ。しかも、何故だか昌浩は黙りこくったまま顔を上げないので余計にわかりにくい。
 気分が悪くなってきたのだろうか。「身体は大丈夫」と申告されたものの、彼が一度死んだのは事実なのだ。体調に影響が出てもおかしくない。
 昌浩の能力を一番把握しているのは当の昌浩本人なのだろうが、それでも不安を拭えずに、紅蓮はおそるおそる声をかけた。
「移動するぞ」
「……うん」
「掴まれ」
 手を伸ばす。昌浩は言われるがまま素直に抱きついてきた。まだ幼い少年の体温が密着してくるのに慣れず、酷く居心地が悪い。不器用に小柄な身体を抱えながら、紅蓮は最初の夜を思い出していた。
 十日も前の満月の日。あの時もこんな風に、昌浩を抱いていたのだ。
 彼は意識を失い力なく瞼を閉ざしていた。首元は今と同じに真っ赤に染まり、紅蓮はといえば、腕の中の他人の体温に戸惑っていた。
 そう容易く人の意識は変わらない。想いを自覚しても、哀しいほどに切り替わらなかった。嫌いではないのに、どうしても怯えてしまうのだ。
 今とあの晩の違いは、彼が起きているかいないかくらいだった。
(―――?)
 ふと気づく。肩と首に回された腕、その先で肌に這う昌浩の指。体躯は温かいのに指だけがまだ冷えていた、……もう血が通ってもいい頃だというのに。
 言いしれない不安に襲われ、紅蓮は抱き上げた昌浩の瞳を間近に見た。瞬間、予感が確信へと変貌する。
 彼の黒瞳は昏かった。黒曜石のように煌めいていた光はどこにも見つからない。完全な暗闇が支配する夜の眼――光が失くなっただけなのに、今や彼から受ける印象はまるで違ってしまっていた。
 軽い混乱が紅蓮の思考をかき乱す。

 どうして彼はこんな――まるで、妖そのもののような瞳をしているのだろう?

 紅蓮に術を使ったことでまだ己を責めているのだろうか? いいや、違う。自責でこんな目はしない。心を閉ざすならもっと凍りついた感情がそこにはあるはずだ。今の昌浩からは、ただ静けさのみしか伝わらない。
 直感的に、紅蓮は悟った。
 昌浩の心に息づいていた、大事なものが喪失している。
 今まで昌浩という人格を構成していた重要なもの。それが失くなったために、彼はこんな瞳をしているのではないのか?
 刃を突き立てられるような痛みが心臓に走った。このままではいけないと、紅蓮の勘が叫んでいる。しかし同朋は既に紅蓮を置いて砂利を蹴立てていた。足を止めている余裕はない。
 数瞬の葛藤の後、紅蓮はせき立てられるように仲間の背を追っていた。
 

◆◆◆


 ――ずっと人を傷つけるのが怖かった。
 妖を滅するのは簡単にできた。でも人間を傷つけたり、ましてや殺すことはどうしてもできなかった。
 だって人間は弱い生き物なのだ。ほんの少し力をかけるだけであっけなく死んでしまう。そんなの、身に染みて一番よく知っている。
 だからできなかった。
 だけど、……だけど、人間のせいで、自分が好きな人を傷つけてしまうなんて考えてもいなかったのだ。
 丞按。
 俺が泣き言を言ってお前を殺そうとしなかったから。
 俺が躊躇したせいで、あの人が死にかけたのだ。
 だったらもう、決めるしかない。

 やるしかない。
 

◆◆◆


 手頃な岩に腰掛けて凌壽は瞼を閉ざしていた。自分の創った異空間だ、どんなに遠くで起こっていることでも手に取るように把握できる。荒れ狂う霊力と通力の気配を精密に読みとりながら、凌壽はその時を待っていた。
 やがて微かな霊気がぱっと弾けて消える。くすりと笑みを浮かべ、彼はさらに時を待った。このままよく見知った霊気が復活しなければ、策は成功だ。同時に晶霞に対して勝ったも同然になる。
 が、やはりそうそう思惑通りにはいかなかった。消失からしばらくして霊気が復活する。凌壽はわかりやすく肩を落として落胆し、舌打ちするなり腰を上げた。
「しぶとい奴め…」
 長い黒髪をがりがりと掻き毟り、あーあと子どものような拗ねた声を出す。次にぱちんと指を鳴らし、彼は己が創生した世界に干渉した。
 石が砕けるような硬い音と共に、真横の何もない空間に亀裂が入る。
「仕事はまだ終わってないぞ、丞按」
 わざと創り出した異空間の綻びの横で、漆黒の天狐は待った。
 霞む闇の先から人影が現れるのを。
 いくらもしないうちに、砂地の向こうから男が現れた。錫杖を失った僧衣の壮年男性。頬の痩けた厳つい顔をさらにしかめ面にして、彼は歩調を緩めると凌壽の眼前に立った。
 天狐はにやにやと悪童の笑みを浮かべている。すぐ側にある空間の綻びに目をやるが、今更ながらこの妖の意図が読めず、丞按は眉間の皺を増やした。
「ふがいないもんだな。これだけ俺が手伝ってやったっていうのに、もう逃げるのか?」
「貴様……」
 この天狐はいちいち人の神経を逆撫でする。思わず丞按が唸ると、芝居じみた仕草で相手は両腕を上げてみせた。
「お前にはまだここにいてもらわなきゃ困るんだ。お疲れのところ悪いがまだまだ働いてもらうぞ」
「何?」
 ぞわりと悪寒が項を撫で、丞按は反射的に跳び退こうとした。しかし一歩遅く、両足が黒い縄に捕らわれる。いや、それは縄ではなかった。丞按自身が使っていた天狐の呪縛だった。
 あっという間に全身が大蛇に締め上げられる。真っ先に両腕は後ろ手に戒められ、身動きすらできない。立っているのがやっとだ。
 圧力に手足の骨が軋む音を聞きながら、丞按は殺気を天狐にぶつけた。
「凌壽……なんのつもりだ」
「さっきも言っただろう、働いてもらうと。もう少し昌浩とあの連中をやりこめてもらわないと困るんだ。俺はあいつの天珠がどうしても欲しいんでね」
 呼吸をするのも苦しい。てんしゅ、と口の中だけでその単語を呟く。
 凌壽が異空間を創った時、丞按もその場に居合わせていた。小さな白い宝珠を数珠繋ぎにしていくつも持っていたようだった、おそらくあれがその天珠とやらなのだろう。
 だが奴は複数所持していたようだった。あれだけではまだ足りないとでもいうのだろうか。
(それに、「昌浩」だと?)
 それがあの幼い見かけの天狐の名前であることは知っていた。けれどその天狐はつい先程丞按自らが手を下し、命を絶ち切ったばかりのはずだ。
 ますます渋面になった丞按に、凌壽は不思議そうに訊いた。
「なんだ、不服そうだな」
「あの天狐ならもう殺した」
 あははは!
 掠れた反論に、凌壽はおかしくてたまらないと言わんばかりに腹を抱えて笑った。不快げに睨みつける丞按など関係なしにひとしきり痩躯を震わせていたが、嘲笑を隠しもせずに露わにする。
「詰めが甘いんだよ。まったくしょうがない奴だなあ」
「なんだと?」
「あいつはまだ生きてる。ちゃあんと死体が消えるところまで確認しておけよ」
「……そんな注文は受けていない」
「そういやそうだな」
 言っていなかったもんな。
 凌壽は悪びれもせずにけろりとした顔を見せた。明らかに丞按の殺気を面白がっている。歯軋りする丞按に顔を近づけ、至近距離で向けられる悪意をじっくりと味わっているようだった。
「お前だって分かっていただろう。俺たちは別に手を組んだわけじゃない。互いに利用しあうと決めていたはずだ。だから俺は最大限お前を使っているだけじゃないか」
 そう不機嫌になるなよ、とむしろにこやかに告げる凌壽に、丞按はますます殺気を募らせた。
「何故あの天狐に拘る。お前が出向いてさっさと殺せばいいものを」
「労力は少ない方がいいだろ? あいつの周りにしち面倒くさいのもいるしな。その点お前はまだ人間だから、当て馬にはちょうどいい。――周りの奴らを痛めつけて、早くあいつを弱らせてくれよ。俺はあいつの天珠で晶霞を倒す力を手に入れるんだ」
 まるで楽しみにしている夕餉の内容を話す子どものようだった。邪気も何もなく、ただ単純に凌壽は待ち望んでいる。楽しげに。
 その夢を丞按は嘲笑ってみせた。
「ずいぶん回りくどい手を取るのだな。ここを創るのに使った天珠とやらでは足らんのか。あんな弱い天狐、足しにもならんだろうに」
「死にかけると能力が成長するという話を知らないのか?」
 今度は凌壽が丞按を嘲り返した。
「俺はもう随分あいつを殺してきた。その度にしつこく生き返っては成長していく様も見続けた。
 そろそろ収穫時なんだよ、あれはな」
 凌壽はくるくると人差し指を振った。
「昔、あいつの中に種を蒔いたことがある。俺の妖力に反応して、宿主の力を削ぐ種子をな。昌浩は俺以外と戦えば、天狐の名にふさわしい霊力を発揮して相手を滅ぼすだろう。けどな、」
 楽しくて楽しくてたまらないといった様子で、天狐はうっそりとほくそ笑んだ。
「俺と戦うときだけあいつは弱くなる。俺はあいつの天敵なんだよ。……かわいそうに、どうしても倒さなきゃならないのはこの俺だというのになあ」
 そこまで告げると舞うように踵を返し、凌壽は丞按にひらひらと手を振ってみせた。
「それじゃ、あの老人がここに駆けつけない内にせいぜい頑張ってくれ。――そうだな、もし生き残っていたら礼だ。お前の目的にももう少し協力してやるよ」
 甲高い笑い声が残響を残して辺りを満たす。一瞬揺らめいたかと思うと、陽炎の如くその身が消えた。どこにも天狐の姿は見当たらない。
 なんとか解呪できないものかと会話の間に試していた丞按は歯軋りして、もう誰もいない虚空を睨みつけた。黒蛇は凌壽が消えても、変わらずきりきりと締め付けを続けている。
 そんな中、丞按ははっとして遠方に視線を移した。
 この遠距離でもはっきりとわかる。刺々しい神気の群。闘将たちがまっすぐこちらに近づいている。
 猶予はない。
 悪態を吐き捨て、丞按は両腕に力を込めた。蛇は小賢しくも手のひらを外側に開かせようと巻き付いている。残った力を振り絞り、彼は後ろ手のまま不動明王印を結んだ。
「搦めの綱解き、放ち道ぎり、オンアビラウンケンソワカ」
 乾いた音が弾けた。途端に蛇はぼろぼろになって地面に落ちる。やっと自由を取り戻したものの、丞按はがくりと膝を突き、荒く息継ぎを行った。
 ただでさえ消耗していた法力が、これでさらに減少した。もう十二神将どもと渡り合う余裕など残っていない。心に満ちるのは焦りばかりだ。
 休む暇などない。凌壽の目論見など知るか。早くここから逃げ延び、藤原への次の一手を考えねば――

 顔を上げる。瞬間、視界を閃光が満たした。
 

朝方はだいぶ涼むようになって何よりです。こんばんは。夏コミもインテも終わり、オタクの夏も学生の夏も終了ですね。時間が経ちすぎている感が否めませんが、遅まきながら夏コミでのお礼を申し上げたいと思います(汗)

孫スペースの皆さんお疲れ様でしたー! 紅昌サークルしか回っておりませんが、今回初めて!お邪魔させて頂きました。緑の服で大荷物を肩にかけていた不細工な女です。ここぞとばかりに買い占めた結果購入した孫本実に20冊。アホだ…。

名だたる紅昌サイトの神々の御本に涎が垂れそうになる毎日です。俺は幸せ者だ、うへへ。
ギンコさん、水瀬さん、桂華(葛城)さん、ひなたさん、実津穂さん、みつきゆりさん、紫紺さん、頒布ありがとうございましたー! 一生の宝物にします! あざーっす!

冬は無理ですが、来年の夏、受かったらオフ出したいですね。目指せサークル参加、頑張れ初オフ本。
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 土塚理弘先生を激しくリスペクトする初心者デュエリスト。腐女子の前にオタク。最近は遊戯王にハマっています。
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