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 真っ先に駆け寄ったのは紅蓮だった。
 ずっしりと重さを増した丞按をどかす。その拍子に、まだ熱さの残る血が昌浩の胸から腹にかけてぼたぼたと零れ落ちた。しっかりと握り締められている筆架叉が、丞按の腹から濁った音と共に引き抜かれる。
 割れた額から流れ落ちていた彼自身の血は、丞按のものに上塗りされて混じってしまった。顔も、胸も、腹も、腕も、鮮やかな真紅によって染め上げられ、端から生暖かい滴が滴り落ちている。鼻腔が立ちこめる血臭に麻痺するまでいくらもかからなかった。
 紅蓮にとっては、けして肯定することのできない過去を思い出す、凄惨な情景だった。
 時折噎せ、荒い息を吐きながら、昌浩は半身を起こした。その左手にはまだ筆架叉が握られている。鮮血で濡れた刃が、ぬらりと茜色に光った。その光を凝視したまま肩を上下させ、昌浩が呆然と呟く。
「……ごめん、」
 掠れた声が呼吸の合間に落ちる。
 のろのろと両腕が動き、べっとりとした血糊を衣装の裾で拭った。だが一度では拭き取れず、同じ動作を二度三度繰り返し、ようやく表面の曇りが晴れる。
 強ばった左手が震えながら開かれた。なかなか言うことを聞かない拳を昌浩は右手で無理矢理に広げる。鋼特有の硬質な音を立てて筆架叉が落ちた。その柄は真っ赤に染まっている。
 昌浩の手も同じ色に染まっていた。裾で乱暴に手のひらを拭ってから、彼が筆架叉を拾う。丁寧に柄の血を拭い終えると、昌浩は座り込んだまま、傍らの勾陳を見上げた。
「汚しちゃった。ごめん」
 血の気の引いた青白い肌。――失血のせいばかりではないだろう。
 逆手に持ち変えて差し出された筆架叉を、勾陳は無言のまま受け取った。
 昌浩の呼吸は未だ落ち着いていない。筆架叉を介して勾陳に細かな振動が伝わる。関節が強ばっているのか、彼は苦労して筆架叉から手を離した。重たそうに腕を持ち上げて、籠手で顔の血をぞんざいに擦る。それを見かねた六合が、有無を言わさず自分の霊布で昌浩の顔を拭った。
「いいって……」
「駄目だ」
 抵抗されたものの動きは緩慢で、血を拭き取るには問題なかった。赤い色が無くなってから手を離す。と、昌浩はすぐ側に転がっていた丞按の死体に視線を移していた。
 命の息吹を感じられない、完全に動かなくなった、物言わぬ骸。
 昌浩が殺した人間。
 戦いの際に放っていた硬質な光は既に彼の両眼からは失われていた。
 無言のまま、彼がゆっくりと立ち上がった。その足下はふらふらとして頼りない。たたらを踏みそうになったところを紅蓮に抱き止められる。短く礼を返して、昌浩は一歩、丞按に近づいた。
 服に染み込んだ血が一筋、太股を伝って地面に落ちる。
 昌浩は丞按の顔を見つめていた。――怨唆と苦悶、狂気と憤怒に満ちた表情を。死してなお安らかに眠ることのできない彼自身の呪いを。
 丞按の過去に何があって、何の為に動いていたのか、昌浩に知る術はない。知ったところで、何ができたかもわからない。やはり互いに相入れぬまま、こうして同じ結末を迎えたかもしれない。
 どうして丞按が藤原氏を狙ったのか。その理由くらい聞き出せばよかったのだろうか。
 それでも。
 昌浩の意思で――それも憎しみで、ひとつの命を奪ったことには変わりがない。
 だからこれは自己満足だ。自分の心を慰める為の取り留めのない思考。初めて人間を殺した自分自身を、慰める為の。
 ぼうと、空気の揺れる音がして昌浩の片手に炎が灯った。丞按に向けてその腕が翳される。すると炎はするすると伸びて、骸に点火した。
 白い狐火は幻想のように、熱も音も発さず丞按を包み込んだ。何も燃やさない筈のその火が、丞按の肌を、肉を、ゆっくりと焼いていく。溶けた屍肉が白い灰と化して地面の上に降り積もっていく様子を、昌浩は網膜に焼き付けるように、直視したまま目を逸らさなかった。
 やがて丞按の姿をしたものが完全に形を崩し、骨も何もかも灰に変化したのを見届け、昌浩は口を開いた。
「……帰ろう。中宮を連れて帰らなきゃ――きっと晴明が心配してる」
 丞按が向かおうとしていた、空間の歪み。それに視線を向けた、まさにその瞬間だった。
 轟音と衝撃、閃光が皆を襲った。予感も前触れもなく、完全に不意を突かれた形になって、昌浩は防御することもできなかった。寸前で障壁を創った神将たちは直撃を免れたが――昌浩は爆発から身を守れず、もろに喰らって吹っ飛んだ。
 神将の障壁の範囲内に昌浩は入っていなかった。故に、彼はあっけなく地に伏した。その左腕はあらぬ方向に捻れ、赤い肉と白い骨が覗いている。
 動かない。
 ざあっと紅蓮の全身から血の気が引いた。音が遠くなり、己の鼓動ばかりが頭の中で響く。思考は凍り付いた。反面、突然の奇襲に対応した体は自律して動いている。無意識に炎が両手に灯り、視線は襲撃者を求めて左右を見渡した。
 すぐ近くにわだかまる、禍々しい妖力を感じ取る。
 紅蓮の瞳が苛烈に煌めいた。真紅の双眼が砂煙の向こうの天狐を捉えるや否や、炎蛇が猛烈な速度で空を裂き襲いかかる。砂が熱と風に煽られ、ほんの一角のみ晴れる。その先に、敵が佇んでいた。
 岩に鉄が叩きつけられるような、耳障りな異音が上がる。赤々とした火の粉が舞い散り、蛇は左右にぱっと断ち割られた。
 鉛の瞳にざんばらの長髪。この異空間の創生者――天狐凌壽が、半球状の障壁の中からうっそりとした笑みを浮かべ、神将たちを睥睨していた。
「貴様…っ!」
 紅蓮が唸ると同時に、勾陳が疾風のように走った。
「六合! 中宮を連れて下がれ! すぐにだ!」
 彼女の鋭い声に六合は一瞬迷う素振りを見せた。だがすぐに鳶色の髪を翻し、結界に囲まれた中宮の元へ駆け寄る。中宮は攻撃に巻き込まれておらず無事だったが、今からこの一帯がどうなるかはわからない。凌壽の目的がこの娘にないにせよ、退避は必要だった。
 六合が中宮を抱え離れていくのを確かに見届け、勾陳は抜き放った筆架叉の刃を凌壽に振り下ろした。
 しかし、その袈裟掛けの一撃は耳障りな音に阻まれる。
 凌壽の片手から伸びた五本の爪が、彼女の筆架叉を受け止めていた。
「……っ」
 防がれると見るや一瞬にして得物を引き、一歩踏み込みながら勾陳はもう一方の筆架叉を下段から振り上げた。が、それも爪に阻まれる。ちっと舌打ちをして右足を凌壽の腹めがけて蹴り上げるが、凌壽はそれをも読んでいたのか、間合いを外して神速の一撃を避けた。
「――騰蛇!」
 けれども、凌壽が相対しなければならない敵は、勾陳だけではない。
 最強の神将が、この場には居るのだ。
 人間相手には奮えなかった、制限なしの神気が爆発するかの如く広がった。肌が爛れるほど熱い焔が、罪人を焼き殺す獄炎が、十二神将騰蛇に呼ばれ異界に召還される。凌壽が目を見張って、新しい玩具を与えられた幼児のようにはしゃいだ。
「へえ、意外にやるもんだな」
「ほざけ!」
 焔が勢いを増し、白炎と化す。大気が熱で歪む。その歪みの中から白銀の龍が形作られ、旋風を巻き起こしながら凌壽を追った。
 凌壽はこの状況になっても、常の薄笑いを崩していなかった。余裕を見せつけるかのように翳した腕の先に障壁が形成される。それで紅蓮の渾身の攻撃を防ごうというのだ。
 だが、紅蓮の執念が上回った。
 障壁に龍が激突し、消え失せる――そう見えたのはただの一瞬で、衝撃に身を崩すことなく、龍は天狐の障壁を自らの牙で食い破った。凌壽の笑いが消え、その片足が一歩後ろへと下がる。しかし、その回避は間に合わなかった。
 白銀の龍が痩身に食らいつき、真っ白な火柱が立ち上る。
 痛みを覚える程の高熱が勾陳たちの全身に叩きつけられた。勾陳が歯を食いしばって片腕で目を防ぐ。紅蓮は後方で火の行方を睨んでいた。どれだけ炎が上がろうと、薪が燃えかすにならなければ意味はない。それに――
 突如、冷水に焼けた石を投げ込んだような音が弾けた。同時に火柱が四散する。
 頬が裂けそうな凄絶な笑みを浮かべた凌壽が、ぎらぎらとした光を紅蓮へ向けていた。
 紅蓮の予想と違わない結果だった。相手は天狐なのだ。それもずっと凶悪で、力の強い妖狐。あの一撃だけで倒せるほど弱いとは考えていなかった。あれで倒せるのだったら、とうの昔に殺している。
「少し効いたぞ……」
 凌壽がうっそりと呟いた。力押しで消し飛ばした負荷の影響か、右手が小刻みに震えている。その機を逃さず、勾陳が両の筆架叉で斬りかかった。
「貴様を倒して、晴明を救う……!」
 一方が刃に、一方が盾に変幻自在に切り替わる二刀流ならではの猛攻が凌壽を襲う。が、凌壽は左の爪のみでそれらを受け流した。次第に勾陳の表情が険しくなっていく。
 騰蛇の攻撃は通じた。けれど自分の攻撃は通じない――これが十二神将の、埋まらない一番手と二番手の差なのだ。
 だんだんと焦りに満ちる彼女の思考を読んだかのように、次の瞬間凌壽が嘲った。
「この程度でか? やってみろよ、神将」
 強烈な侮蔑に、思わず勾陳の両眼が金色に煌めく。
「どけ、勾!」
 その時、彼女の背後から龍が殺到した。燃え盛る灼熱の神気が、さらなる高熱でもって彼女の心を引き戻す。己の感情を制御する術を思い出した思考は一瞬で平静に立ち返り、しなければならない行動を導き出した。
 微かに眉を歪めた凌壽の足を払う。と見せかけ、跳びのこうとしたその両腿を右の筆架叉で薙ぎ斬ろうとした――それも読まれる――けれど、本命は次撃だった。
 筆架叉を手放す。ごく自然な動作で、腰を右に勢いよく回す。同時にがら空きになった左の手のひらで、撫でるように、凌壽の鳩尾に触れた。
「――っ!」
 しゅっという蛇のような吐息が彼女の唇から漏れると同時に、衝撃で凌壽の身体が宙に浮き上がった。
 読まれないよう神気を用いずに使用した寸頸が、凌壽の足止めに成功したのだ。
 呼吸ができずに凌壽がたたらを踏む。勾陳は横っ飛びに転がって、その場を離れた。一瞬の後、その場に数匹の龍が牙を突き立てて業火が迸る。避ける暇はなく、凌壽はまたも正面から紅蓮の攻撃を受けた形になった。
「やれるか……!?」
「いや……」
 紅蓮は険しい顔のまま、勾陳の問いに答えた。その額に汗が浮いている。全力の神気を行使して龍を操っているのだ。
 彼の視線の先の白い火柱は先ほどのように打ち消されてはいない――けれど微かな抵抗を紅蓮は感じ取っていた。
「まだ死んでいない――」
 そう口走ると同時に、背後で小さな呻き声が聞こえた気がして、彼ははっと振り返った。
「昌浩っ……?」
 視線の先、うつ伏せになっていた昌浩が僅かにもがいていた。意識を取り戻したのだ――
 しかしほっとするのもつかの間、けたたましい笑い声が周囲を満たした。
「どうした昌浩! 俺を殺すまで死なないんじゃなかったのか?」
 太い火柱の中から響く哄笑に、紅蓮は視線を戻した。炎はまだ消されてはいない――だが、凌壽の抵抗は強さを増している。
 炎の中、天狐の妖力がさらに膨れ上がっていく。やがて白い光に紛れ、うっすらと紫色の燐光が見えた。その光は強まり、ついに全景を現す。
 火柱の中、球状の結界を纏った凌壽が、呵々として三人を見下ろしていた。
 結界に防がれ炎は凌壽に届いていない。紅蓮は舌打ちして火勢を強めた。しかし、憎き天狐には堪えた様子が見られなかった。いや、気づいていないのか――凌壽の意識はもう、十二神将から全く離れたところに注がれていたのだった。
 

◆◆◆


 昌浩は激痛にくらむ視界で、息も絶え絶えに声の在処を探していた。左腕が燃えるように熱い。身体は言うことを聞かず動かなかった。唯一動くのは頭だけだったが、それも酷い頭痛で殆ど使いものにならない。どうにか見当をつけて前髪の間から見上げた景色は昏かった。ただ、一点だけが明るい――真っ白な光、太陽の光のように眩しい明かりがあって、大嫌いな男の声はそこから聞こえてくる。
 なんだか無性に悔しくて、昌浩は痛みとは別の涙をぽたりと落とした。
 

◆◆◆


 凌壽がにやりと笑い、結界に包まれたまま右手で天を指した。次の瞬間――轟音が響いたと感じる前に、紅蓮たちは天紫に撃たれ膝に土を付けていた。
 躱す暇はなかった。いくら神将でも、雷撃の速度にかなうわけがない。来るとわかっていればまだ防御のしようもあっただろうが、まさか天狐が雷まで操るとは考えていなかった。
 震える膝を叱咤しながら、彼らは神気で無理矢理に肉体を回復させようとした。動けなければやられるだけ――それがわかっていたからだ。
 だが遅かった。
 黒い帯が風切音を立てて大気を裂く。十二神将が再び立ち上がる前に、長く伸びた凌壽の黒髪が彼らの四肢を拘束して地に叩きつける。衝撃に勾陳が咳き込み、紅蓮がぎろりと眼光を強めた。囚われのまま、拘束を燃やし尽くそうと神気を発しかける。
 が、その瞬間、急激な神気の喪失が彼らの身を襲った。
「ぐっ……!」
 がつんと殴られたような目眩を覚え、視界が暗転する。顔面に砂混じりの固い何かが押し当てられる。それが地面なのだと数瞬遅れて気づき、紅蓮はようやく、自らが地に倒れ伏していることを悟った。
 黒髪がぶつりと途切れ、紅蓮と勾陳を拘束する黒い帯と化す。猛烈な吐き気と強烈な頭痛が交互に襲い来た。抗おうにも力は出ず、凌壽の拘束から逃れることもできない。歯噛みする紅蓮の目の前を、凌壽は悠々と歩んでいく。
 昌浩の前で立ち止まる足を、紅蓮は形容しがたい憎悪を込めて睨みつけた。
 この瞬間、紅蓮にできることといったら、それくらいしかなかったからだ。

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お久しぶりです。地震がありましたが、サイト主様がご無事なようで安心しました;更新されていたので嬉しくなって読んでしまいました。戦いが終わったと思ったらまた・・・「わあああ」とパソコンの前で心の中から叫びました。
これからもまだまだ大変な時期ですが、お体にお気をつけてお過ごしください。いつもこのサイト様を応援してます。
ラコ||2011/04/29(Fri)|Edit
コメントありがとうございます。ラコさんもご無事なようで何よりです。
私の書くもので他人に元気を出すことができたら、それはとっても嬉しいなって(まどマギネタですみません)
まあ冗談はともかく、萌えは活力の一つだと信じております。私の作品で皆が萌えたりしてくれたら、それも震災復興の一助になるかな、と考えてもおります。更新に力入れたいですね。

それでは、ありがとうございました。
2011/05/01(Sun)
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