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 勾陳はなるべく平坦に聞こえるよう口を開いた。
「帰るぞ、」
 素っ気ない響きが異空間に消える。苛立ちも怒りも彼女の中にはとうに存在しない。完全に平静を取り戻して、勾陳は現実を見据えていた。
「目的である中宮の奪還は果たした。幸い皆無事ときているし、こんな辛気くさい場所からはさっさと脱出すべきだろう。いつまでも留まっていると、やめろというのに乗りこんできそうなはた迷惑な主もいることだしな」
「……そうだな」
 年老いた主の顔を思い出しながら、紅蓮が首肯した。
 帰還が遅くなれば晴明は式神たちを案じるだろう。大体、異空間などに囚われているという時点で彼が離魂術を使ってきてもおかしくない。ここ数日はずっと体調が良さそうで、狩衣と狩袴を身に着けている日も多いが、確実に彼の天命は削られているのだ。
 大きな術を使えば使うほど、晴明の命は短くなる。
 忘れていないわけではなかった。
「昌浩、凌壽の位置を」
 凌壽をこの空間から排除しないことには帰り道が創られない、と話した昌浩の言葉を勾陳は忘れてはいなかった。そもそも最初は凌壽を探そうとしていたのだ。中宮に害をなそうとする丞按を発見したのはたまたまであり、使命を果たせたのは偶然の産物にすぎない。
 精彩を欠いたまま、子どもは緩慢に頷いた。が、すぐに顔をしかめて首を横に振る。
「……わからない」
「何?」
「まだ回復しきっていないのか?」
 紅蓮が心配そうに、細い肩に片手を乗せた。その様に勾陳と六合は目を丸くする。まったく、先程から驚いてばかりだ。騰蛇のこんな声音や表情など、ついぞ想像できなかった。
 昌浩は紅蓮から身を捩るように一歩離れ、焦ったように両手をぶんぶんと振った。
「身体はもういいんだ! いいんだけど……なんだかぼんやりしてて、」
「ぼんやり?」
「何が」
「その……。あいつの、が」
 ぎゅっと首が押さえられた。血を吸って真っ赤に染まった包帯を隠すように。昌浩は上手く言葉に表せないようで、神将たちを惑いながら見上げていたが、やがてこの地の果てを指さした。
「凌壽の居場所はよく分からないけど、あっちに綻びがある」
 空間の綻び。人界に戻るために必要な扉。この異空間に落とされた時にはなかったはずのもの。
 時が経つことによって自然発生したものかもしれない。そこから帰れるとは思う、と告げて、昌浩は眉尻を下げた。
「――あいつの罠かもしれないけど」
「その可能性はあるな」
 黙っていた六合が、少し眉を寄せて言った。
「丞按は気づいただろうか」

 その名に反応して昌浩の体が強ばった。
 神将たちは皆難しい顔をして考えこんでいた。昌浩に目を向けている者は誰もいなかった。だから、この時の変化に気づくことができなかった。
 後に紅蓮は後悔することになる。
 もし、この場で彼を注視していたら。未来という轍をなぞっていた、現在という名の車輪は脱線していたのだろうかと。
 新たな轍を刻んでいたのではないだろうかと。
 だが紅蓮は気づけなかった。それが事実で、全てだった。

 勾陳は長い睫を伏せて、予想される最悪の展開を計算しているようだった。
「……それもまた、わからないな」
 頭を振る。六合の指摘通り、可能性は十分にある。かと言って現状維持も得策ではない。今はとにかく行動すべき時だ。外部には頼れない、自分たちでどうにかするしかない。
 彼女は歩を進めると、結界の中に取り残したままの中宮を抱き起こした。顔色はあまり良くないが、意識を喪失したそもそもの原因は心的なものだ。丞按に傷を負わせられている様子もない。ああだこうだと詮索されたり悲鳴を上げられるよりは、抵抗もしないのでこの方が好都合だ。
 六合を呼ぶなり彼に中宮を預ける。彼は黙ったまま受け取った。凌壽が襲ってくる可能性がある以上、闘将二番手の腕が塞がっていてはお話にならない。騰蛇は論外だ。ならば六合にお鉢が回ってくるのは当然の帰結だった。
 腰に両手を置いて勾陳は一同を見渡した。
「とにかく今はそこへ向かうしかないだろう。その綻びとやらもいつまでもあるとは限らないしな」
 昌浩が指し示した先に向かって顎をしゃくる。
「ここに居続けたとしても、今内裏の神隠し騒ぎが大きくなるだけだ。晴明が祈祷に引っ張り出されてはかなわん」
「……そうだな」
 出された結論は尤もだった。肯いて、紅蓮は昌浩の顔を覗きこんだ。
 彼の背丈は紅蓮の胸下までしかないので、近すぎると逆に表情が読めない。紅蓮が屈まないと昌浩の顔が見えないのだ。しかも、何故だか昌浩は黙りこくったまま顔を上げないので余計にわかりにくい。
 気分が悪くなってきたのだろうか。「身体は大丈夫」と申告されたものの、彼が一度死んだのは事実なのだ。体調に影響が出てもおかしくない。
 昌浩の能力を一番把握しているのは当の昌浩本人なのだろうが、それでも不安を拭えずに、紅蓮はおそるおそる声をかけた。
「移動するぞ」
「……うん」
「掴まれ」
 手を伸ばす。昌浩は言われるがまま素直に抱きついてきた。まだ幼い少年の体温が密着してくるのに慣れず、酷く居心地が悪い。不器用に小柄な身体を抱えながら、紅蓮は最初の夜を思い出していた。
 十日も前の満月の日。あの時もこんな風に、昌浩を抱いていたのだ。
 彼は意識を失い力なく瞼を閉ざしていた。首元は今と同じに真っ赤に染まり、紅蓮はといえば、腕の中の他人の体温に戸惑っていた。
 そう容易く人の意識は変わらない。想いを自覚しても、哀しいほどに切り替わらなかった。嫌いではないのに、どうしても怯えてしまうのだ。
 今とあの晩の違いは、彼が起きているかいないかくらいだった。
(―――?)
 ふと気づく。肩と首に回された腕、その先で肌に這う昌浩の指。体躯は温かいのに指だけがまだ冷えていた、……もう血が通ってもいい頃だというのに。
 言いしれない不安に襲われ、紅蓮は抱き上げた昌浩の瞳を間近に見た。瞬間、予感が確信へと変貌する。
 彼の黒瞳は昏かった。黒曜石のように煌めいていた光はどこにも見つからない。完全な暗闇が支配する夜の眼――光が失くなっただけなのに、今や彼から受ける印象はまるで違ってしまっていた。
 軽い混乱が紅蓮の思考をかき乱す。

 どうして彼はこんな――まるで、妖そのもののような瞳をしているのだろう?

 紅蓮に術を使ったことでまだ己を責めているのだろうか? いいや、違う。自責でこんな目はしない。心を閉ざすならもっと凍りついた感情がそこにはあるはずだ。今の昌浩からは、ただ静けさのみしか伝わらない。
 直感的に、紅蓮は悟った。
 昌浩の心に息づいていた、大事なものが喪失している。
 今まで昌浩という人格を構成していた重要なもの。それが失くなったために、彼はこんな瞳をしているのではないのか?
 刃を突き立てられるような痛みが心臓に走った。このままではいけないと、紅蓮の勘が叫んでいる。しかし同朋は既に紅蓮を置いて砂利を蹴立てていた。足を止めている余裕はない。
 数瞬の葛藤の後、紅蓮はせき立てられるように仲間の背を追っていた。
 

◆◆◆


 ――ずっと人を傷つけるのが怖かった。
 妖を滅するのは簡単にできた。でも人間を傷つけたり、ましてや殺すことはどうしてもできなかった。
 だって人間は弱い生き物なのだ。ほんの少し力をかけるだけであっけなく死んでしまう。そんなの、身に染みて一番よく知っている。
 だからできなかった。
 だけど、……だけど、人間のせいで、自分が好きな人を傷つけてしまうなんて考えてもいなかったのだ。
 丞按。
 俺が泣き言を言ってお前を殺そうとしなかったから。
 俺が躊躇したせいで、あの人が死にかけたのだ。
 だったらもう、決めるしかない。

 やるしかない。
 

◆◆◆


 手頃な岩に腰掛けて凌壽は瞼を閉ざしていた。自分の創った異空間だ、どんなに遠くで起こっていることでも手に取るように把握できる。荒れ狂う霊力と通力の気配を精密に読みとりながら、凌壽はその時を待っていた。
 やがて微かな霊気がぱっと弾けて消える。くすりと笑みを浮かべ、彼はさらに時を待った。このままよく見知った霊気が復活しなければ、策は成功だ。同時に晶霞に対して勝ったも同然になる。
 が、やはりそうそう思惑通りにはいかなかった。消失からしばらくして霊気が復活する。凌壽はわかりやすく肩を落として落胆し、舌打ちするなり腰を上げた。
「しぶとい奴め…」
 長い黒髪をがりがりと掻き毟り、あーあと子どものような拗ねた声を出す。次にぱちんと指を鳴らし、彼は己が創生した世界に干渉した。
 石が砕けるような硬い音と共に、真横の何もない空間に亀裂が入る。
「仕事はまだ終わってないぞ、丞按」
 わざと創り出した異空間の綻びの横で、漆黒の天狐は待った。
 霞む闇の先から人影が現れるのを。
 いくらもしないうちに、砂地の向こうから男が現れた。錫杖を失った僧衣の壮年男性。頬の痩けた厳つい顔をさらにしかめ面にして、彼は歩調を緩めると凌壽の眼前に立った。
 天狐はにやにやと悪童の笑みを浮かべている。すぐ側にある空間の綻びに目をやるが、今更ながらこの妖の意図が読めず、丞按は眉間の皺を増やした。
「ふがいないもんだな。これだけ俺が手伝ってやったっていうのに、もう逃げるのか?」
「貴様……」
 この天狐はいちいち人の神経を逆撫でする。思わず丞按が唸ると、芝居じみた仕草で相手は両腕を上げてみせた。
「お前にはまだここにいてもらわなきゃ困るんだ。お疲れのところ悪いがまだまだ働いてもらうぞ」
「何?」
 ぞわりと悪寒が項を撫で、丞按は反射的に跳び退こうとした。しかし一歩遅く、両足が黒い縄に捕らわれる。いや、それは縄ではなかった。丞按自身が使っていた天狐の呪縛だった。
 あっという間に全身が大蛇に締め上げられる。真っ先に両腕は後ろ手に戒められ、身動きすらできない。立っているのがやっとだ。
 圧力に手足の骨が軋む音を聞きながら、丞按は殺気を天狐にぶつけた。
「凌壽……なんのつもりだ」
「さっきも言っただろう、働いてもらうと。もう少し昌浩とあの連中をやりこめてもらわないと困るんだ。俺はあいつの天珠がどうしても欲しいんでね」
 呼吸をするのも苦しい。てんしゅ、と口の中だけでその単語を呟く。
 凌壽が異空間を創った時、丞按もその場に居合わせていた。小さな白い宝珠を数珠繋ぎにしていくつも持っていたようだった、おそらくあれがその天珠とやらなのだろう。
 だが奴は複数所持していたようだった。あれだけではまだ足りないとでもいうのだろうか。
(それに、「昌浩」だと?)
 それがあの幼い見かけの天狐の名前であることは知っていた。けれどその天狐はつい先程丞按自らが手を下し、命を絶ち切ったばかりのはずだ。
 ますます渋面になった丞按に、凌壽は不思議そうに訊いた。
「なんだ、不服そうだな」
「あの天狐ならもう殺した」
 あははは!
 掠れた反論に、凌壽はおかしくてたまらないと言わんばかりに腹を抱えて笑った。不快げに睨みつける丞按など関係なしにひとしきり痩躯を震わせていたが、嘲笑を隠しもせずに露わにする。
「詰めが甘いんだよ。まったくしょうがない奴だなあ」
「なんだと?」
「あいつはまだ生きてる。ちゃあんと死体が消えるところまで確認しておけよ」
「……そんな注文は受けていない」
「そういやそうだな」
 言っていなかったもんな。
 凌壽は悪びれもせずにけろりとした顔を見せた。明らかに丞按の殺気を面白がっている。歯軋りする丞按に顔を近づけ、至近距離で向けられる悪意をじっくりと味わっているようだった。
「お前だって分かっていただろう。俺たちは別に手を組んだわけじゃない。互いに利用しあうと決めていたはずだ。だから俺は最大限お前を使っているだけじゃないか」
 そう不機嫌になるなよ、とむしろにこやかに告げる凌壽に、丞按はますます殺気を募らせた。
「何故あの天狐に拘る。お前が出向いてさっさと殺せばいいものを」
「労力は少ない方がいいだろ? あいつの周りにしち面倒くさいのもいるしな。その点お前はまだ人間だから、当て馬にはちょうどいい。――周りの奴らを痛めつけて、早くあいつを弱らせてくれよ。俺はあいつの天珠で晶霞を倒す力を手に入れるんだ」
 まるで楽しみにしている夕餉の内容を話す子どものようだった。邪気も何もなく、ただ単純に凌壽は待ち望んでいる。楽しげに。
 その夢を丞按は嘲笑ってみせた。
「ずいぶん回りくどい手を取るのだな。ここを創るのに使った天珠とやらでは足らんのか。あんな弱い天狐、足しにもならんだろうに」
「死にかけると能力が成長するという話を知らないのか?」
 今度は凌壽が丞按を嘲り返した。
「俺はもう随分あいつを殺してきた。その度にしつこく生き返っては成長していく様も見続けた。
 そろそろ収穫時なんだよ、あれはな」
 凌壽はくるくると人差し指を振った。
「昔、あいつの中に種を蒔いたことがある。俺の妖力に反応して、宿主の力を削ぐ種子をな。昌浩は俺以外と戦えば、天狐の名にふさわしい霊力を発揮して相手を滅ぼすだろう。けどな、」
 楽しくて楽しくてたまらないといった様子で、天狐はうっそりとほくそ笑んだ。
「俺と戦うときだけあいつは弱くなる。俺はあいつの天敵なんだよ。……かわいそうに、どうしても倒さなきゃならないのはこの俺だというのになあ」
 そこまで告げると舞うように踵を返し、凌壽は丞按にひらひらと手を振ってみせた。
「それじゃ、あの老人がここに駆けつけない内にせいぜい頑張ってくれ。――そうだな、もし生き残っていたら礼だ。お前の目的にももう少し協力してやるよ」
 甲高い笑い声が残響を残して辺りを満たす。一瞬揺らめいたかと思うと、陽炎の如くその身が消えた。どこにも天狐の姿は見当たらない。
 なんとか解呪できないものかと会話の間に試していた丞按は歯軋りして、もう誰もいない虚空を睨みつけた。黒蛇は凌壽が消えても、変わらずきりきりと締め付けを続けている。
 そんな中、丞按ははっとして遠方に視線を移した。
 この遠距離でもはっきりとわかる。刺々しい神気の群。闘将たちがまっすぐこちらに近づいている。
 猶予はない。
 悪態を吐き捨て、丞按は両腕に力を込めた。蛇は小賢しくも手のひらを外側に開かせようと巻き付いている。残った力を振り絞り、彼は後ろ手のまま不動明王印を結んだ。
「搦めの綱解き、放ち道ぎり、オンアビラウンケンソワカ」
 乾いた音が弾けた。途端に蛇はぼろぼろになって地面に落ちる。やっと自由を取り戻したものの、丞按はがくりと膝を突き、荒く息継ぎを行った。
 ただでさえ消耗していた法力が、これでさらに減少した。もう十二神将どもと渡り合う余裕など残っていない。心に満ちるのは焦りばかりだ。
 休む暇などない。凌壽の目論見など知るか。早くここから逃げ延び、藤原への次の一手を考えねば――

 顔を上げる。瞬間、視界を閃光が満たした。
 

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