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「いけない! 夕餉の支度の時間なのに」
「あ……ごめん」
「ううん、昌浩が悪いんじゃないの」
 少女は慌てて立ち上がり、名残惜しげに昌浩を見つめた。控え目な微笑が昌浩の眼に飛び込んでくる。
「また後でお話ししましょうね」
 言い置いて、彰子は裳裾を翻した。だが、母屋へと向かうその足が、「待って」という一言に引き留められる。
 彰子が振り向くと、昌浩は高欄をよじ登って簀子に降りるところだった。
 埃を乱雑に払うと、幼い妖はにこりと笑って、悪戯っぽい視線をこちらに向けた。
「手伝うよ」
「えっ、でも……」
 虚を衝かれた彰子の手が取られる。陰形した神将がざわりと空気を震わせた。
 さっと彰子の顔が赤らむ。気付いているのを隠しているのか、それとも全く気付いていないのか、昌浩はそれらを全て無視して手を引いた。
 みるみるうちに彰子の頬が朱に染まっていく。生まれて初めて異性と手を繋いだ彼女は、高まっていく鼓動を抑えきれずに微かに震えた。
「つ、露樹さまは見鬼じゃないから不思議に思われるわ」
「ばれないようにやるよ。それに彼女は陰陽師の妻だから多少のことには動じないって」
 どぎまぎする胸を宥めながら言いつのったのに、昌浩は事も無げに反論して進んでいく。あれよあれよという間に二人は厨に着いて、彰子は昌浩と手を繋いだまま露樹に姿を見せた。
「ああ彰子さん、よかった。頼まれてくれるかしら」
 温和そうな女性が微笑んで、床に置かれた木箱を指し示した。
 吉昌の妻、露樹だ。彼女は見鬼ではなく徒人だから、昌浩を見ることはできない。その証拠に、至近距離に妖が存在しているにも関わらず彼女は昌浩に気付かないままだった。
「使わない器を塗籠に仕舞ってほしいの。ごめんなさいね、わたしは手が離せなくて」
 言って、露樹は竈を振り返った。煮炊きをしている最中なのだろう、湯気と共に火の粉がぱちりと弾けた。
 彰子も笑顔で了承する。
「かまいませんよ」
「少し重いかもしれませんから、気を付けてくださいね」
 木箱は二つあった。彰子が片方を抱えてみると、確かに重い。だが支えきれないほどではなかった。
 昌浩ももう片方を持ち上げる。彼は目配せすると彰子を誘った。
「行こう、彰子」
 露樹に気付かれぬよう小さく答えるだけに止めて、彰子は彼の背を追った。
 昌浩は慣れた足取りで板張りの廊を進んでいく。いつ知ったのかまっすぐ塗籠に向かい、先に扉を開けて彼女のことを待っていた。
 室内に誂えられた棚に箱を載せ、追いついた彰子の手からもう一つを受け取ろうとする。彰子はちょっと迷ってから、彼の両手に木箱を渡した。
「わたしじゃ一度に二つは運べなかったわ。変に思われないかしら」
「心配性だな彰子は。平気だよ、もし聞かれたら暇そうな式が手伝ってくれたって言えばいい。本当のことだし」
 見えないからって何も信じないわけじゃないよ、と優しく諭され、彰子は俯いた。
 昌浩の言うとおりだ。露樹は霊的なものを感じ取ることこそできないものの、陰陽師の妻であり、陰陽師の母であり、陰陽師の義娘なのだ。配慮する必要はない。
 けれど、彰子は「でも」と呟いた。
 自分自身でも理解できぬ突発的な衝動に襲われ、彼女は無意識に口走っていた。
「――でも、楽をしたなんて思われたくないの」
 はっと口元を押さえ、彰子は昌浩を見上げた。
 口にしてから狼狽する――こんなことを言うつもりはなかったのに。
 昌浩は目を丸くしていたが、やがて表情を緩めた。腕が伸び、そっと彰子の肩を叩く。思わず彼女は肩をはねさせてしまった――だけれど、怖いわけではなかった。
 彼女はただ、動揺していただけだったから。
「彰子は、預けられてどのくらいになるの?」
「……半年と、少しくらい」
「露樹はよくしてくれる? 安倍の家の、みんなは」
「してくれるわ」
 彰子は口早に答えた。嘘偽りのない、真実を。
 なのに口にした瞬間、つんと鼻の奥が痛んだ。
「みんな優しいの。優しくて……申し訳ないくらい。わたし、置いてもらっているのに」
 呪詛を受けて穢れてしまった彰子を救ってくれたのは晴明だ。彼女の呪詛を凍てつかせるため、安倍の家の者は一生彼女のそばにいなくてはならない。
 束縛しているのは、彰子の方だ。
 だから、せめてもの恩返しとしてきちんと働きたい。少しでも助けになりたい。それが、自分の義務だと考えていた。
 昌浩がゆっくりと頷く。
 彼は深い夜闇の眸を合わせて、彰子を覗き込んだ。
「負い目があるんだね」
「そんなこと……!」
 咄嗟に反論しかけ、しかし彰子の声は途中で力を失った。
 心の内で自問する。――そう、彼の言うとおりだ。
 わたしは負い目を感じている。
 己が周囲の優しさに値する人間かどうか、いつも考えている。
 厭われるのが怖い――嫌われるのが怖い。
 嫌われたら最後、居場所を無くしてしまう気がして。
 喉が引き攣れる。明確な形をもって顕わになった真実が、掘り起こされて眼前に突き付けられる。
 気付かないふりをして目を逸らしていた己の浅ましい欲に眩暈がした。
 護衛に付いていてくれた朱雀と天一の神気が動揺している。聞かれてしまったのだろう――きっとすぐに晴明の耳に入るに違いない。幼い頃から力になってくれた、まるで祖父のような老人。一番頼りにしている彼を、失望させてしまうのだろうか。
 まるで足下が掬われて、空に踏み出したようだった。
 震えが走る。縋るよすがを探すように、惑った指先は袂を握り締めた。
 その時、あたたかい指先が手の甲に触れる。彰子はいつの間にか伏せていた面を上げ、間近にある一対の黒瞳に見入っていた。
 やわらかな闇がすっと細くなって、笑う。
「俺にもあったよ、負い目」
「え……?」
「いや……今でもある、のかな」
 苦笑して、昌浩は頬を掻いた。片手を彰子に触れさせたまま。
「俺の行動原理は、その負い目から作られてた。今でもまだ引きずってるのかと聞かれたら、多分答えは是なんだろう。だけど……だけどね、彰子。
負い目だけでは、生きていけないんだ」
 ひどく優しいと同時に、どこか厳しくもある声音だった。
「そのうち、彰子は負い目じゃない理由を見つけるよ。その理由で、この家で生きていける。それがどのくらい先のことになるかは分からないけど、きっと見つかる。一月かもしれない、一年かもしれない、もしかしたらもっとかかるかもしれない。だけど、俺は断言できる。君は、絶対にその理由を見つけるよ」
 夢見るように彼の言葉を受けていた彰子は、呆然と呟いた。
「……本当に?」
「もちろん! 天狐の名に懸けて誓うよ」
 そして彼は付け加えた。
「晴明と彼の家族を信じてあげて、彰子」
 彼らの好意には、信頼で報いてほしい。
 最後に格言めいた語を厳かに述べて、昌浩はにっこりと笑った。
 その眼差しがあまりに優しくて、涙が零れる。
 ぽろぽろと真珠が滑り落ちた。急いで目頭を袂で押さえた彰子は、塞いでしまった喉を元に戻そうと深呼吸する。そんな彼女の頭を、昌浩がゆっくりと撫でた。
 優しい仕草が外見を裏切って、彼が遥かに年上であることを実感させる。
 ――やがて彰子の呼吸が落ち着いた頃、昌浩はそっと身を離した。
「さあ、そろそろ行かないと」
「……どこまで道草を食べに行ってたのかと思われるかしら」
「どうかな。分かんないや」
 ふふ、と昌浩が吐息を漏らした。

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