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 幼い妖はくらむ視界の中で萎えそうになる足を動かし、後退った。全身が痛む。きちんと直立している自信がない。意識は朦朧とし、苛む苦痛の中、ただひとつの行動を取らせようと警鐘を鳴らしていた。
 逃げなければ。
 晴明に迷惑をかけるわけにはいかない――どこかに隠れ傷を癒し、次の襲撃に備えなければならない。何十回と行ってきた過程を再び追尾し、彼は途切れそうになる思考を繋いだ。
 喉が痛い。呼吸するだけで組織がひきつる。凌壽が離れたことで妖気は暴れなくなったが、新たに与えられた痛みと傷は重かった。口がきけない。この状態ではあの僧とも満足に闘えず、逆に殺されてしまうかもしれない。今の自分はあまりに弱体化している――早く逃げなければ。
 子どもの意識は一極に集中していた。だから、すぐそばにあるふたつの神気を無意識に忘れていた。
 首筋を衝撃が襲う。子どもは己が落ちたことにも気付かずに――無為の暗闇に、思考を溶かしていった。
 

 脆すぎる手応えだった。妖だからと強めに力を込めたのだが、必要なかったかもしれない。それほど呆気なく、幼い天狐は手刀一発で落ちてしまった。
 手負いとはいえ、少しおかしい。
 腕の中でぐったりとしている子どもを訝しげに一瞥し、勾陣はそれを紅蓮に押しつけた。
 昌浩、と呼ばれていたこの天狐を助けたのは、何も親切心からではない。現時点で最も情報を握っているのがこの子どもだからだ。幸い傷を負って弱っていたし、捕らえて脅せば吐くだろうと判断しただけのことだった。
 紅蓮が不器用そうに子どもを抱える。不服そうな眼差しを、勾陣は気付かないふりをしてやり過ごした。彼女では運びにくいから紅蓮に渡したのだ。相手は妖なのだから外見に惑わされなくともいいだろうに、この最強の十二神将は相変わらず子どもが苦手なようだった。
 少しは慣れろ、そう心の中だけで呟き、勾陣は西を振り返った。
「帰るぞ」
 

◆◆◆


 神気がふたつ、近付いてくる。
 凶将たちが戦闘を起こしていたあたりから目を覚ましていた晴明は身を起こした。どうやら紅蓮と勾陣は無事なまま闘いを終えたようだ。怪我をしていなければいいがと嘆息して、彼は袿を羽織った。
 身体の芯を揺さぶる強大な霊気が衝突していたのも気にかかる。二人から詳しく話を聞かなければならないだろう。すでに夜遅く、子の刻を過ぎているが仕方ない。これは十二神将の主たる晴明の義務であり、矜持だった。
 天后が顕現し、そっと晴明の肩を支える。今この部屋の中にいる神将は彼女だけのようだった。珍しく青龍もいない。久方ぶりに人数の少ない自室に戻っている。皆二人の様子を見に行ってしまったのだろうか。
 そこに音もなく妻戸を開き、白虎が顕現した。
「晴明、来てくれ」
 肩を支えていた天后の手が強張る。晴明もさっと顔色を変え、最悪の場合を想定した。
「二人に何かあったのか」
「いや、そうではないが……」
 珍しく白虎が言葉を濁す。とにかく門まで来てくれと繰り返され、晴明は天后と顔を見合わせた。
 白虎とて、今の状態の主人を動かしたくはないはずだ。それがわかっていながら晴明を呼ぶということは、ただならぬ事態であるということになる。だが、紅蓮と勾陣の両名が無事だというのにいったい何が起こったのだろうか。
 天后と白虎に付き添われ庭に下りる。気だるい身体を門まで進めると、すでに幾人かの十二神将が集っている。帰還した凶将二人は、なぜか邸に入らずに門の外側で晴明を待っていた。不思議に思ったが、理由はすぐに知ることになった。
 紅蓮の腕に抱かれた黒衣の子どもが、皆の当惑の原因だった。
「それは?」
 尋ねた天后に、勾陣は簡潔に返した。
「天狐だ」
 とたん、ざわめきが広がる――なかでも、晴明はとみに驚いていた。
 彼の母親もまた、天狐だったのだから。
 子どもは少年のようだった。首からは血が流れ、べったりと胸元を汚している。血の気の失せた肌は白く、か細い呼吸を零す唇は青かった。勾陣が気絶しているその幼い天狐を冷静に指す。
「危ないところを救ってくれた恩人だ。晴明を狙っている奴とも知り合いらしい。見ての通りの傷だし、詳しく話を聞き出そうと思って連れてきた。晴明、入れてやってくれ」
 紅蓮が何か言いたそうにちらりと勾陣を見やる。が、結局沈黙を選んだようで口を開くことはなかった。その様が少し気になったが、晴明はすぐに注意を戻し頷いた。
「わかった。いいだろう」
 結界の創造者の認証が得られた。一時的に妖が結界内に入ることが許される。天狐は神に等しい力を持つが、所詮は妖にすぎない。晴明の許しがない限り入れることができないため、紅蓮たちは晴明を呼んだのだった。
 屋敷の近く、池のそばまで移動する。どこか空いている部屋に入れて、目覚めるまで見張りを付けるかと思案していた晴明の耳に、ぼそりとした呟きが飛び込んできた。
「起きたぞ」
 子どもを抱いていた紅蓮がかすかな身じろぎを感じたのか、注意を促した。彼は抱えていた天狐を下ろすと、乱暴に片腕を掴んでぶら下げる。小さな呻きが天狐の唇から洩れた。ゆるゆると瞼が上がる。茫洋とした瞳が紅蓮を捉え――
 その双眸の奥底で瞬く白い光を認めた瞬間、紅蓮は反射的に彼を地面に叩きつけていた。
「騰蛇?!」
 白虎が叫ぶ。晴明を庇うように青龍が顕現し、間に立つ。天后が悲鳴を上げて口元を覆う。勾陣はそんな友の肩を抱いて、紅蓮と倒れ伏す子どもに鋭い眼差しを向けていた。
 晴明は、ただ静観している。
 子どもの指が痙攣した。間もなくして、ゆっくりと身を起こす。その一挙一動に、その場の誰もが集中していた。
 かくかくと、何かにひっぱられるように子どもが立ち上がる。紅蓮が手のひらを翳し、焔を召喚した。いつでも放てるよう、蛇がばちばちと音を立ててとぐろを巻く。
 しかし、彼は眼前で明るく輝く焔も、そして神将たちすら視界に入っていないようだった。
 足を引きずるように踵を返す。夢見るような足取りで、天狐は敷地の中にある小さな森に近づいていった。その無防備な背中に、紅蓮が殺気を投げつける。が、あからさまに示されたそれさえも、天狐には届いていないようだった。
 一番近い桂の前で足を止めると、子どもは幹に手を触れた。さらに祈りを捧げるかのごとく額を当てる。すると、その身が淡い光に包まれた。
(あの時の)
 勾陣が紅蓮を見やる。紅蓮も目だけで頷き返す。間違いない。二人を癒した時と同じ、青白い灯火だった。
 けれども、直後に起こった現象は二人の身にもたらされたものとは全く異なっていた。
 桂の太い幹がばきばきと軋む。木肌はたちまち荒れ、罅が入り、葉が萎れ、あっという間に立ち枯れていってしまう。水分や生気を芯まで吸い取られ、樹は細く小さく脆くなった。
 燐光が蛍火のように掻き消える。子どもがくずおれた。その身に刻まれた傷は消滅しているが、生気は相変わらず薄い。背筋を這い上るうすら寒い予感に紅蓮は身を震わせた――やはり、連れてくるべきではなかったのだろうか。
 この天狐は敵ではないが、同時に味方でもないのだから。
「……どうなっている」
 青龍が唸った。紅蓮の背に視線が突き刺さる。舌打ちをしたいのをぐっと堪えて、紅蓮は無視することに決めた。青龍が自分に向ける感情など、わかりきっている。今更構っても仕方がない。
「大丈夫なの?」
 不安げに、天后が勾陣に尋ねた。警戒の色が濃い声音は、この場にいる全員の総意だ。だが勾陣は目を瞑ると、心配性な親友の背を軽く叩いてみせた。
 情報が必要なことには変わりない。この天狐が危険であろうがなかろうが、捕えて話を聞きださなくてはならない。もし何か兆候が現れたら、その時は――
 指に触れたあたたかな感触を思い出し、紅蓮は顔をしかめた。子どもは動かない。呼吸で僅かに背中が上下しているだけだ。
 ようやっと煉獄を収め、彼は振り返った。
「どうする」
 晴明はしばらくの間答えなかった。ただじっと、子どもの幼い顔立ちを見つめている。
 神将たちが辛抱強く待っていると、ややあってから命がくだされた。
「……成親の部屋が空いているな。そこで休ませてやれ。見張りは、」
 二名の神将の名を晴明は呼んだ。
「紅蓮、六合。任せたぞ」
 ずっと陰形していた六合が応じる気配を見せた。紅蓮は少し躊躇ってから、子どもに近づく。手を伸ばし、思い切って触れるが子どもは覚醒しない。何も起こらないことに安堵して、彼は慎重に子どもを抱え上げた。
 成親が使っていた部屋に向かう紅蓮の背を、体が冷えることも忘れて晴明は見送った。
 霞みがかった記憶の彼方から、遠く呼び声が響いていた。


◆◆◆


 荒れ果てた廃屋に足を踏み入れる。腐食していない床の上に腰を下ろし、僧は短く悪態をついた。その背後に気配が生まれる――手放していなかった錫杖を軽捷に向けて、僧は殺意をむきだした。
「――なんだ、あの妖は」
 暗闇から滲むように現れ出でた気配の主……凌壽は、にやにやと嗤いながら、楽しそうに答えた。
「あれは俺の獲物さ」
 僧が目元を険しくする。
「貴様、あの妖が俺を邪魔しに来ると知っていたのか?」
「さてな」
 凌壽はひょうひょうと躱すばかりだ。まともに答える気などないのだろう。埒が明かんな、と苦々しく思いながら、僧は錫杖を下ろした。
「天狐どうしで何を争っているか知らんが、俺の邪魔をすることだけは許さんぞ」
「わかっているさ」
 その気のなさそうな返事に苛立つ。凌壽は僧を嘲るように笑みを深くすると、自身の黒髪をぶちぶちと引き千切った。差し出されたそれを忌々しげに僧が奪う。
 僧は会話を打ち切るように背を向ける。凌壽は腕を組むと、今しがた思いついたように「そうそう」とわざとらしく声をかけた。
「あのガキについて、ひとついいことを教えてやろうか。きっと役に立つぞ」
 僧が胡散臭そうな顔で凌壽を睨む。けれど天狐は気分を害すことなく、むしろ機嫌を良くしたようだった。
「あいつはな……」
 朽ちた屋根の上から、月明かりが落ちる。満月だというのに上機嫌で、凌壽は笑った。
 死蝋の肌は月光を吸っても、なお土気色のままだった。

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