「式になった」という天狐を紹介され、晴明の次男吉昌は、目を丸くして少年の形をした妖を見下ろした。
たとえ希代の陰陽師と世に謳われる実父であっても、まさか伝承に聞く大妖をくだすことができるとは信じ難かったのであろう。彼は盛んに首を振って、「まったくあの人は」を零していた。
そんな吉昌を、昌浩は面白そうに眺めて笑っていた。
――正午まで、あと四半刻ばかりを残す頃。
安倍邸の表門前に一台の牛車が停まった。迎えの車である。
吉昌が乗り込んだのを認めて、青龍と太陰、そして昌浩が車を囲む。当然ながら神将たちは陰形し、昌浩は人目につかぬよう力を抑えてでの同行だった。
一目のありすぎる真昼間なら、凌壽も怪僧も襲いはしないだろう。ただ、万が一という可能性もある。一同の空気は終始張り詰めており、中でも酷かったのは青龍だった。気難しいこの神将はいつもにもましてぴりぴりと気を尖らせ、おかげで車中の吉昌は到着する頃にはすっかり気疲れしてしまっていた。
式にくだってからの数日間、昌浩は幾人かの神将と会話したが、青龍とは一言も口を利いていない。吉昌とは少なからず同じ心持だったようで、彼は吉昌を気遣ってから、「いつもこうなの?」とこっそり太陰に耳打ちし、青龍に睨まれた。子ども二人で首を引っ込めていると、闘将三番手は忌々しげに舌打ちし、視線を逸らした。
この神将にはあまり歓迎されていないようだな、と特に落胆することなく考え、しかし息苦しさに昌浩はため息をついた。牛車の屋根に腰かけて足を揺らしていると、童女の外見をした神将が宙を漂い、近づいてくる。彼女は今度こそ声を潜めて、昌浩に告げた。
「敵が出なかったから機嫌が悪いのよ」
「……そういうものなの?」
聞き返すと、太陰はさらに声を低くして、さっさと敵をぶち倒したいの、と言った。
「その点はわたしも同感だわ。待たされてイライラするのは大嫌いだもの」
まどろっこしいのが嫌いだ、と胸を張って言い放つ太陰に、昌浩はくすりと笑んだ。
牛飼童が声を上げて牛を止める。立派な四足門の前に着けられた車から吉昌が降り、家司の案内を受けて衛士の間を通り過ぎる。
その背を守るようにして、式神たちは表門をくぐった。
途端、水の波動が肌に触れる。知っている神気に気付いて、昌浩は顔を上げた。
何度か口を利いたことのある神気だ。太陰より幾許か年上の少年の姿をとっている神将、玄武のものだろう。
先を行く吉昌を見上げると、彼は家司の目を盗んでちらりと目配せした。その意を察し、昌浩は吉昌から離れると陰形している式神たちに目を向けた。
何もない空間から姿が滲み出る。陰形を解いた青龍と太陰は地を蹴ると、一跳びで三丈は離れた渡廊に飛び乗った。そのまま屋根を伝って神殿を目指していく。
仲間たちはそこにいるのだ。
土御門殿は玄武の結界によって守られている。その内に入っている今、もう吉昌の護衛は必要ないだろう。先ほどの目配せはそれを促すものだった。
しかし、昌浩は注意深く気を這わせた。用心に次ぐ用心を重ねる。それはもはや習慣づけられた行為だった。
いついかなる時でも、警戒の手を緩めてはならない。「絶対的な優位」などはこの世に存在しない。
半世紀以上逃避行を続けた妖が見つけた、この世の真理の一欠。
それを噛み締め、彼は睨みつけるように足を踏み出した。
「玄武! 六合!」
風を使ってひらりと屋根に飛び移り、太陰は大声で同胞を呼んだ。長身の神将と子供の姿をした神将が大棟で応じる。太陰に続いて屋根に上がった青龍はぐるりと広大な庭を見渡した。同時に「異常は」と問う。
六合は無言で首を横に振った。
「今のところ何もない。そちらは大丈夫なのか」
「晴明が起きだそうとしては叱られてるわ」
逆に玄武が訊き返してくる。その答え、現状での唯一の不満を口にして、太陰は薄い胸を反らした。
「何かあったら大変なのに、どうしてああも無理に動こうとするのかしら。信じられない!」
大人しく寝てればいいのよ、と小さな肩をぷりぷりと怒らせる彼女の言い分は大半の神将と同じものだった。だが、辛い要望でもある。太陰と青龍に遅れて寝殿に到着した昌浩は、神将たちの会話に口こそ挟まなかったものの、内心では晴明に同情していた。
寝てばかりいては体が萎えてしまう、と茵に横たわって彼が嘆くのは毎日のことだった。過保護な神将が無理矢理寝かしつけるせいで、年老いた主はこのところ精彩を欠いているように見受けられる。少しくらい融通を利かせてもいいのではないか、と昌浩はひっそり思っていたが、進言はできなかった。
不信されている己が口を出しても、むしろ神将たちは反発するばかりだろう。
無用な争いは避けたかった。所詮昌浩は異物にすぎない。来るべき日が訪れ、無事にこの件が収まりさえすれば式からは離れるつもりだった。共闘するのだから仲違いする気もなく、別れゆく相手に無理に悪しき記憶を植え付ける必要性も感じなかった。
なにより、彼らは晴明の僕だ。
晴明の朋だ。
十二神将を愛するには、それだけで十分な理由だった。
(それに、)
ふと、昌浩はあの神気を思い出した。
蒼い月光をはねのける真紅の神気――荒々しく力強い、燃え盛る焔。
金色に煌めく美しい眸。
初めて助けられた、あの瞬間。
かっと頬が熱くなる。反射的に口元を隠して、来たばかりだというのに彼は神将たちに背を向けた。
上擦りそうになる声を努めて抑え、平静に聞こえるように口を動かす。
「……結界、はってくる」
音は、思っていたより素っ気なく響いた。
気に留めなければいい――そう願って、彼は桧皮葺の屋根を蹴った。
「朧月夜」毎週楽しみにしています><
昌浩が生まれなかった安倍家+神将たちは…なんとも寂しいものですね;
特に紅蓮のやさぐれっぷりと孤独感が泣けます(涙)
そして紅蓮に一目ぼれしちゃった昌浩がすっごく可愛いです!
思い出して頬染めちゃう昌浩に思わずにやけてしまいましたっ
これから天狐昌浩がどうやって神将たちと仲良くなっていくのか、紅蓮と呼べるようになるのか、すっごく楽しみです♪
「朧月夜」を楽しみにしてくださっているということで、感謝の念でいっぱいです。愚作ですが、精進して筆力を上げてまいり、期待に応えられるだけの作品に仕上げていきたいと考えております。
紅蓮と昌浩の仲はまあ、発展途上なので今のところこんなんですが、そのうちぐっさんが頑張ると思います。はい、主にぐっさんが。
あんまり惚れた腫れたを中心に書こうとは思ってなかったんですが、どうも書かなきゃいけない状況にキャラが動いてきたので、後半! 物語後半に紅蓮が男を見せますよ、多分!
早く彼らがちゃんと仲間になったところを見せたいのですが、布石を色々打たないといけないので、それを書くのがちょっとめんどいのですが頑張ります。
それでは、ありがとうございました。