7月頭に更新してから間が空いてしまい申し訳ございませんでした。そんなわけで続きです。もー紅蓮がしちめんどくさかったのなんのって。よく昌浩はこんな男好きになれるわー、よっぽど好きでないとこんなめんどくさい人とつき合っていけないって。愛ってすごいね。(そんな結論?)
「騰蛇!」
声が唱和した。
同朋が倒れていく。十二神将最強たる騰蛇が、成す術もなく。
ありえないと考えもしなかった事態を目の当たりにして、二人は全身から血の気が引いていくのを感じていた。
「おいしっかりしろ、騰蛇!」
勾陳が体に手をかけ名を繰り返し呼ぶが、反応はない。いくら揺すぶってもぴくりとも動かない。
(何が――)
いきなり紅蓮が昏倒した理由がわからず、勾陳は愕然としたまま彼の大きな背を見つめた。
その時だ。昌浩に覆い被さるように倒れたその体の下で、蛍火のようなぼんやりとした燐光が漏れ出たのは。
「………!」
何度か眼にしたことのある、光。その光が瞬く時何が起きるのかを、二人はけっして忘れてはいなかった。
瞬時に真実を悟った六合の背筋に悪寒が走る。咄嗟に紅蓮を背後から抱えるようにして抱き起こすと、燐光がふつりと掻き消えた。僅かに安堵するが、ほっとするにはまだ早い。六合は紅蓮を仰向けに横たわらせると呼吸を確かめた。
「騰蛇、」
勾陳が膝を突いて紅蓮の顔を覗き込む。至近距離からの呼びかけにも答えがない。瞼を閉ざし、彼は完全に意識を失っていた。
顔色は少し悪いだろうか。だが目に付く異常といったらそのくらいで、脈拍も呼吸も正常だ。命に別状の無いことを確認して、二人は一息をついた。
「おい起きろ、騰蛇」
勾陳が容赦なしに紅蓮の両頬を張る。何度か乾いた音が響き渡った後、瞼が振動したのに気づいて彼女は振り上げた平手を止めた。ただの生理的な痙攣かと思ったが違うようだ。続いて発された呻き声が、紅蓮の覚醒を示唆していた。
金色の瞳がゆっくりと現れる。
同朋の中で最も神気の強い男が倒れるところなど、十二神将の誰もが目にしたことがない。六合と勾陳は神将の中でも冷静さの際立つ方だったが、流石に動揺を隠せずにはおれなかった。無表情を崩すことのない六合でさえ、心臓の鼓動はずっと早鐘の如く打ち鳴らされていた。
紅蓮の眼差しはぼんやりとして定まっていない。が、頭上から見下ろす勾陳と六合を認識するように視線が左右に揺れた途端、急速に焦点を取り戻した。途端彼は手を突いて勢いよく上体を起こそうとするが、失敗した。再び地面に転がりながら短く悪態をつく様子に、勾陳は呆れながら安堵のため息をついた。
「……顔が痛いぞ」
「手加減しなかったからな。悪かった」
紅蓮は両手で目を塞いだまま動かない。眼底が痛むのだろうか。
喋ることは問題ないのか、彼は続けざまに尋ねてきた。
「何が……あった」
「それはこちらの台詞だ、」
いきなり昏倒されたのだ、状況把握など二の次だった。ただ――
「昌浩は……」
二人は黙り込んだ。
紅蓮は彼らが故意に沈黙したのに気づいて頭を動かした。側頭部はどくどくと脈打ち、視界は赤い砂嵐がかかってまともに働かない。耳鳴りも酷く、勾陳たちの声も水を通したようにくもって届く。全身が気だるく力が入らない。脈動はゆっくりと治まってきているから、しばらくしたら起き上がれるようにはなるだろう。
けれどそれはどうでもいい。
自らの消耗。意識を失う直前に目にしたもの。
紅蓮は疑っていなかった。
「昌浩、」
すぐ側にいるはずの、彼の名を呼ぶ。
六合は傍らの、死体だったはずの者に目をやった。青白く鎮静していた肌。それが今や、完全に血色を取り戻して存在している。
ひくりと、細い指先が痙攣した。
(やはり)
勾陳と六合が共に息を呑んだ。
背後から腹部を貫かれた天狐は、黄泉の縁から甦っていたのだ。
おそらくは、紅蓮の寿命を対価として。
紅蓮は周囲の霊力を探っていた。五感と頭は負荷に耐えかねて悲鳴を上げていたが、その分それ以外の感覚は明瞭に働いていた。
枯れた泉が再び沸き出るように、彼の霊力が噴出していくのが感じられる。
うっすらと紅蓮は片目を開けた。暗い視界の中、砂の帳に隠れて横たわる昌浩の肢体を見つけようとして。すぐ側にいるはずの、彼に会うために。
重い手を伸ばし、紅蓮は再度呼びかけた。
「昌浩」
こんこんと満たされていく彼の霊気に触れたかった。
かけられた声に気づいたのか、ぼんやりと昌浩の黒瞳が現れる。深淵の黒を塗り込めた眼差しはつかの間天空を仰ぎ、その後視界に入り込んだ皆の顔に向けられた。意思の感じられない視線が順繰りに回る。何度か瞬きを繰り返し、彼は勾陳と六合の愕然とした表情にふと不思議そうな目を向けた。
「……どうしたの……、」
掠れた囁きが落ちる。
その囁きが昌浩自身の耳に届いた瞬間、彼ははっと両目を見開いた。
「なんで、」
双眸が同じく横たわる紅蓮に移動する。彼が、紅蓮だけが横臥していることに気づき、その幼い面がみるみるうちに青褪めていった。
唐突に跳ね起きるや否や、反射的に紅蓮に触れようとする。だが直前で火傷を負った時のようにびくりと引っ込め、昌浩は代わりに自分の肩を抱いた。
様子がおかしい。
紅蓮は無理矢理に身を起こした。一瞬砂嵐が色を変え強くなる。しかし気分の悪さは意思力で押さえ込み、彼は昌浩へと膝立ちのまま近づいた。
「おい」
けれど昌浩は怯えた目をして、逆に後退さりをするばかりだった。
嫌な音を立てて紅蓮の心臓が脈打つ。己が動揺しているのだと自覚するのに数瞬の時を要した。自覚した途端、さらに心臓が軋んで紅蓮は動けなくなってしまった。
昌浩に怯えられるのは、これが初めてだった。
他人に畏怖の目を向けられるのは慣れていた。生を受けた時から、同朋にすら怯えられていたのだから。だが昌浩は違う。彼だけは、紅蓮を恐れずに接してくれた。自身の弱い体躯が紅蓮によって傷つく可能性などこれっぽっちも考えやしないで、最初から紅蓮に接触してきたのだ。
あの時の小さな掌の体温は、今でも紅蓮の皮膚に留まっている。
だというのに、今更紅蓮に怯えるというのか。
紅蓮の何に怯えているというのだろうか。
(俺の何に)
昌浩の剥き出しの二の腕が、痕が残るほど爪を立てられている。黒瞳は紅蓮に対して向けられたまま、感情の渦がせめぎあって歪んでいた。
悲哀と怯惰――そしてほんの少しの憎悪。
その眸を、いつかどこかで目にしている気がした。
つい最近だった気もする。遙か遠く昔だった気もする。ごく近く、毎日でも見続けていたような気さえする。
そう、この眸は他人に対して向けられるものではない。これは自分自身に対して、己を厭った時に向ける目だ。
晴明を手にかけ自身の力に怯えてからずっとこの眸をしていた。無くなってしまえばいい、必要ないと金冠を施してもらっても力への憎悪は消えなかった。ごくたまに水鏡を覗くと、その中には力を厭う者が紅蓮を責めて映っていた。
だからわかった。
(――そうか)
闇色の絶望がじわじわと押し寄せて、昌浩の四肢を絡めとっている。常闇の牢獄。眼前に現れた罪。彼は償う方法すらわからず、抗うこともできず、諾々と受け入れるより他にないと信じているのだ。
いつかの紅蓮のように。
(こいつは)
知らず、腕が伸びていた。
「俺は平気だ」
有無を言わさずに昌浩の手をしっかと握りしめる。昌浩の喉がひくりと鳴り、筋肉が強ばっていくのを感じた。逃れようとする腕を引き留めて、紅蓮は子どもの両眼を正視した。
「この通り生きている。問題はない。気にするな」
「……うそ」
「ないと言っている」
「だって」
「――わからんやつだな」
昌浩の手を握ったまま、紅蓮は立ち上がってみせた。視界が一瞬だけ暗くなるが、表面にはおくびも出さない。僅かに残る吐き気にも平然と耐える。昌浩はつぶさに一連の様子を追っていた。が、何事もないかのように振る舞う紅蓮を呆然として見上げるより他になかった。
ふと、紅蓮は考えた。
(「気にするな」など)
何故さっき、そんなことを言えたのだろう。
胸を針が刺すような痛みと共に、焔に巻かれて床についていた主を思い出す。ほんの数十年ばかり前のことだ。縛魂の術に囚われて晴明を害し、術が解けて半狂乱のまま岦斎を殺した。荒ぶる焔は晴明を飲みこみ、大火傷を負わせ――紅蓮の心にも癒えない傷を刻み込んだのだ。
全身を包帯で覆った晴明の枕元で俯く紅蓮に、主は言った。
(……お前が悪かったわけではない。気にするな)
その言葉を、ずっと受け入れることができなかった。今だってそうだ。到底自分を許せるとは思っていない。けれど晴明がかけてくれた言葉を昌浩に渡すことができた。自分自身は受け入れられなかったというのに――
どうしてだろう。
昌浩が、紅蓮と同じだからなのか。
彼は己の力が他者に向くことを恐れている。紅蓮と同じに、自分の力を忌まわしいと断じている。震える昌浩の眸は紅蓮と同じように嫌悪に歪んでいた。見た瞬間にわかった。
初めはほんの少しだけ興味を持っただけだったのだ。騰蛇の神気を恐れずに触れてくるのに戸惑い、子どもの姿に動揺し、その力を警戒した。霊力以外は全く人と同じであることを知ってからは、彼からの接触が恐ろしくなった。
礼を言われてからは――その素直な好意にどう応えればいいのかわからなくて、逃げた。
失ったと思いこんでからは、喪失に怒りを覚えた。
もう認めるしかないだろう。
そうだ。俺はあの時お前に微笑まれて、嬉しかったんだ。
触れられて嬉しかった。言葉を交わすのが楽しかった。
同時に期待を裏切られるのが嫌で、お前を信じることができなくて、だからお前を拒んだんだ。
それでも期待を捨てることはできなかった。心のどこかでお前を信じかけていたから、死によって奪われることに我慢がならなかったのだ。
だが今はどうだ。逆に拒絶し返されて、俺はこんなにも衝撃を受けている。驚恐を司る最強の十二神将騰蛇が、なんともみっともない話だ。
好きだと告げられた、あの時。本当は――本当は、言葉を失うほど嬉しかったのだと、今ならわかる。
(晴明、)
俺はまだ、自分自身を許すことはできない。俺の咎は大きすぎるからだ。だがお前がくれたもののおかげで、代わりに他人を許すことができた。この子どもが傷つくことがないようにと、願うことができた。
昌浩も俺と同じように、自身を許すことはできないかもしれない。だが他人から許しを与えられたいと希むのは、おかしなことだろうか?
俺は自分を罰しながら救いを求めていた。罪深い考えなのはわかっている。それでも、どうしても、希まずにはいられなかった。
そう、俺は救われたかった。
救われたいんだ。
そして今度は、救ってやりたいんだ。
「立て」
促し、腕を引き寄せる。引っ張られるままに昌浩は立ち上がったが、その間、けっして目を合わそうとはしなかった。
紅蓮の手の中の指は、ずっと冷えきって震えていた。
「ほんとに、」
蚊の鳴くような囁き声。
聞き逃すまいと耳をそばだて、紅蓮は続きを待った。
「平気なの」
「ああ」
おずおずと、目線が上がる。瞳にありありと書かれた「信じ難い」という感情に、紅蓮は苦笑した。
それでも、冷えた手は離さなかった。
六合と勾陳は黙ったままそれを眺めていた。微かに眉間に皺を寄せているのは勾陳だ。六合はちらりとそれに目をやったが、口は出さなかった。
「昌浩、」
びくりと昌浩の肩が跳ねた。弾かれたように六合に怯えた視線が向けられる。昌浩の手が紅蓮の手を強く握り返した。恐怖に強ばった幼い顔は誰かに似ていた。そう、騰蛇とはち合わせた太陰とそっくりだった。
その事実に少し胸を痛めたが、表面にはおくびも出さず六合は続けた。
「お前の忠告を活かすことができなかった。すまない」
「……え、」
「言っただろう。離れろと」
「――ああ」
昌浩は地面に目を落とした。
戦場に向かう途中で六合に残した忠告。本人は遺言のつもりだったのだろうが、結局六合はその言葉に従うことができなかった。
「だが」
続けられた言葉に、昌浩は顔を上げた。
「実行したほうが良かったのか、俺にはわからない」
もしあの時六合が皆を遠ざけていたら、紅蓮が吸気の術にかかることはなかっただろう。ただし昌浩は甦らないまま、神将たちは異空間に取り残されていたに違いない。ひょっとしたら晴明が離婚術を使って救出にきていたかもしれなかった。それは神将たちの望む未来ではない。
結果からすれば、全員が欠けることなく救われている状態だ。昌浩が生き残った、その事実は喜ばしいことのはずだった。――なのに、これでよかったのだと断じることはできなかった。
騰蛇は確かに危害を加えられたのだから。
答えを出すにはまだ早すぎた。
「……まあいい」
ずっと沈黙を保っていた勾陳が、ため息をつくように言葉を吐いた。
「同朋を傷つけられたことは大変遺憾だが、今はどうこう言う時機ではない。騰蛇も問題はないようだしな。結論は晴明が出すだろう」
私はそれに従うまでだ、と言いおいて、彼女は紅蓮を見やった。昌浩の手を握ったままの、彼を。
紅蓮は勾陳を僅かに険のある眼差しで見据えていた。
(不服か、)
くすりと勾陳は朱唇を笑みに形作った。
あの騰蛇が!
なんと愉快な話だろうか。ほんの少し前まで冷酷非情の代名詞のようだった男だというのに、今のこの体たらくといったら。氷のように頑なな態度は、取り付く島のない刺々しい言葉はどこへ行ってしまったのか。特に子どもなど邪険にしていたはずなのに、相手が妖とはいえ手まで繋いでやっているなど!
まして気遣いまで見せてやるとは、比類なく愉快な話だった。
騰蛇の身に悪いことが起きる可能性は丁重に断りたかったが、彼の変化は好ましかった。
口では釘を刺すように昌浩の所行を非難したが、実のところ、勾陳本人に悪意はなかった。――よくよく考えれば神将に寿命などないのだから、一時的に生気を奪われて、悪ければ昏倒する程度なのだろう。十二神将最強たる紅蓮の生命力が強かったのも幸いした。当人はすでにぴんぴんしていることだし、そう深く責任を追求する気にはなれなかった。
2日目が本番だからねー。明日12日に東京入って2泊予定、14日(2日目)終わったら帰途につく形です。
2日目は……ついに……今まで恥ずかしくて寄れなかった(スペースの前通っても「きゃっ」って感じで目も合わせられなかった)孫ジャンルでもお買い物します! お話します! がんばるぞ!(何故自ジャンルのとこで買い物できないんだ…)
そんで。ついったで話してた原作版現代ぐれまさ卒業旅行(性的な意味で)話なんですが。
……間に合いませんでした……
もうさ…これ…私がサークル参加して中編でオフ本出せばいいんじゃねえの……? そろそろ私もオンだけじゃなくてオフで活動するべきなんだろうか……。何、小説は売れないって? 知ってるよバーロー。
はーっ、やっとこの章終わったー! 長かったー!
相変わらず優しくない展開で誰得?(俺得です)なわけですが、もうちょっとだけ続くんじゃ。ええと具体的にはあと10万文字くらい(予定)。
紅蓮のデレが書けて何よりです。もっとデレてくれると嬉しいです。
なんでって、書くのに疲れないので。
少女の悲鳴が上がった。静かな環境で育った章子にとってはあまりに衝撃が強すぎたのだろう。結界と幻妖の群越しに全貌を捉えていた彼女はついに耐えられなくなったのか、ふつりと昏倒した。
遊環がなる。
血塗れの錫杖で再び紅蓮を指し示し、丞按は愉悦に浸った笑みを浮かべた。
「無駄なことをするものだな」
あからさまな侮蔑に、神将たちの顔が歪む。
その時だった。
昌浩の血が、うっすらと発光した。
彼の虚ろな瞳は、太陽も月もない空を見上げたまま微動だにしない。だが体内から逃げた血液だけが広がって、仄白く光を放っていた。
丞按が履いている草履が赤く血に染まり――刹那、閃光が弾けた。
「なっ……!」
発光したのは狐火だった。焔に巻かれて丞按がたたらを踏む。油を吸った火が一瞬で燃え広がるように、血を媒介と化して白炎が燃え立ったのだ。
瞬く間に狐火が一帯に拡散する。昌浩の最期の灯火が茨に触れた。黒いそれが白に転じ、灰となって脆く砕け散る。
紅蓮は力任せに戒めを振り解いた。その双眸は真紅に染まり、晴明から与えられた二つ名と同じ色を表していた。鋭く踏み込むと同時、その片腕が丞按の喉元へと伸びる。
金眼が紅く燃えている。
(かまうものか)
黒い爪は錫杖に阻まれた。が、紅蓮は諦めなかった。鈍い金属音を立てて錫杖を弾き、さらに奥へと踏み込む。
焔の槍を創ろうとは思わなかった。創造に集中する一瞬が惜しかったからだ。その一瞬を作るくらいなら、素手で丞按を括る方がいくらかましだった。
三度目の禁忌を犯そうとしていることに、躊躇いはなかった。
――昔、もし晴明が人間に殺されたら、と考えたことはあった。しかしその時は答えが出ず、保留にしたまま記憶の奥深くにしまいこみ、自問そのものを忘れていた。
けれど今なら答えられる。
ああ、そうだ。もし晴明が殺されれば、その相手を八つ裂きにするのは俺の役目だ。他の誰にもできはしない。俺だけが成し得ることができる。既に穢れたこの身だけが、親殺しの責を担えるのだ。
渦巻く思考が高熱を帯び、激したまま煮え立っていく。
人間だろうが、かまうものか。
この人間は昌浩を殺したのだ。
紅蓮を守ろうとして飛び出した彼を殺した。
彼だけが、晴明と同じに笑いかけてくれた。
――その笑顔を、信じかけていたのに。
「丞按…!」
激しい闘気に煽られた狐火は広がり続け、焔に煽られた幻妖が逃げ惑った。六合と勾陳の茨を焔が灼き切り、灰が舞い散る。解き放たれた闘将二人は紅蓮に加勢して、狐火の中を走り抜けた。
六合と勾陳の視線が僅かな間紅蓮の背中に注がれる。痛いほどの殺気が迸っていた。それを認めるや否や、勾陳の眼差しが険しく顰められる。
(理を犯すつもりか)
十二神将にとって理は絶対だ。だが、必ずしも最重要視するものではない。晴明と理を天秤にかけられたら――勾陳もどう出るか、己で判断がつきかねる。
しかし今紅蓮が激高しているのは晴明を傷つけられたからではない。あの天狐が害されたからだ。
確かに勾陳は紅蓮が変わることを願っていた。彼の情の激しさを知っていたからだ。それが、こんな方向で噴出するとは考えてもいなかった。
殺気を出しているものの、未だ煉獄を操っていないのは最後の一線を越えていない証拠だろう。ただ、いつ踏み越えてしまってもおかしくない脆い砦だが。
紅蓮は後悔こそしないかもしれない。けれど苦しまない保証などどこにもなかった。であれば、紅蓮が起こすであろう凶行をなんとしてでも止める必要があった。
この場でそれができるのは、勾陳しかいない。
最強を止められるのは、二番手の彼女だけなのだから。
(早まるな、騰蛇よ……!)
筆架叉を一振りだけ手に取り、勾陳は六合と共に丞按を左右から挟み込んだ。
いかな剛の者でも所詮は人間だ。体術で神将に勝てるわけがない。ましてや三人掛かりであれば、丞按といえど逃げを意識せざるを得ない。
紅蓮の猛攻を錫杖を盾にしなんとか凌ぎつつも、重ねて接近する敵影を視認した丞按は冷静に己の不利を認めた。
中宮に術をかける機会を逸してしまったのは口惜しいが、ここで退かねば自分の命が危ない。炎の闘将は明らかに理性を失いかけている。十二神将の心を縛る理など、いつ無為になるかわからなかった。
(潮時か)
ちっと舌を打って、丞按は眼前の闘将の左腕を弧を描いた柄で叩いた。瞬間左手を素早く錫杖から離し、短い挙動で闘将の顎を打ち抜く。がちんと歯が鳴る音が響き、確かな手応えが骨を伝った。
丞按自身の視界から錫杖が見えなくなった、その時だった。
紅蓮は真紅の双眸をかっと見開いた。揺れる視界と緩慢になろうとする身体の悲鳴を無視して、左手を狙った場所へと伸ばす。
掴んだのは冷たい感触だった。
そのまま、金属を握り潰す。
灼熱の闘気が込められた掌は呪力ごと、丞按の錫杖を木っ端微塵に打ち砕いた。
「ぐっ……!」
散った破片が丞按の肌に赤い線を残す。得物が消失したことに焦りの色を濃くすると、怪僧は僧衣の袖を払った。
凌壽から受け取った最後の毛髪が、意思を持つもののように空中を走る。
もうこの場では使う気はなかったというのに、思わぬ反撃を受けたせいで使わざるを得なかった。錫杖を、丞按の術を最大限に発揮する得物を破壊されてしまったのは完全に予定外だったからだ。あれを失くしてしまった今、縛魔術は凌壽の毛髪を媒介にかけるより他に方法がない。三人の闘将相手に逃げ仰せるには、どうしても行動を制限する術が必要だった。
もし神将に拘束されて無為に時間を浪費してしまうと、中宮は丞按の手の届かない内裏まで隠れてしまうだろう。それでは丞按の計画全てがおじゃんになる。今は退いて機会を窺うしかない。
残る黒髪はちょうど三本。
細い線がくねったかと思うと、たちまち一本が紅蓮に襲いかかった。
途端真紅の眼がさらに色を濃くして燃え上がる。篭手を嵌めた褐色の腕を横薙ぎに振り払い、紅蓮は吼えた。
「同じ手を食うか!」
空中に浮かんだ凌壽の髪の毛を、素手のまま毟り取る。
自殺行為にも等しい所作だったが、彼の掌には既に白銀の焔が燃え立っていた。蚯蚓のようにうねっていた頭髪が、神気に焼き尽くされてぼうと燃え上がる。
全身から吹き出していた殺気が焔へと変貌する。右手に留まっていた煉獄がさらに火勢を強めたかと思うと、燃え盛る龍が形作られた。
その間、僅か数瞬。召還された白銀の龍は業火をまき散らしながら突き進み、その口腔へ黒糸を飲み込んだ。合わせられたあぎとの奥で黒い灰が砕け散る。すぐさま紅蓮は龍を操る右腕を振り、照準を丞按の背中に定めた。
しかし、その軸線上に何体もの幻妖が立ちはだかる。
最初に気づいたのは六合だった。皆の足下を埋めていた狐火が、いつしか火種を失った炎のように勢いを衰えさせていたのだった。狐火の陣に進入できなかった幻妖たちは陣の外側で右往左往していたが、それを破れることを察した丞按が呼び寄せ配したに違いない。
弱まった狐火を踏み散らして牙が勾陳たちに迫る。丞按は幻妖を壁として、既に逃亡を図っていた。
「待て……!」
唸って、紅蓮は龍を解き放った。一直線に伸びた龍身が、炎の牙が、幻妖たちを引き裂き飲み込んでいく。
だが丞按には届かなかった。
すんでのところで最後の幻妖に阻まれ、龍は炎鱗を散らして消え失せた。対して丞按は遠く、韋駄天のように駆けている。
歯噛みして、追い縋ろうと紅蓮は足を踏み出した。神足で駆ければ丞按に追いつくことは簡単だ。が、その腕を引き留める者があった。真紅の瞳が鋭く眇められ、きっと仲間を振り返る。
引き留めた当人の勾陳は首を振って、彼を諫めた。
「私たちの目的は丞按を倒すことではない。ここから脱出して帰還することだ、――中宮を保護してな」
「――っ」
反論の言葉が口を突いて出そうになる。だがなけなしの理性が、ぎりぎりでその圧力を封じ込めた。
勾陳の言うとおりだ。
紅蓮の衝動は感情に任せただけの危険な代物だ。主から与えられた命は中宮を助け無事連れ帰ることのみ。無理に追撃をかける必要性はどこにもない。
目的を果たした今、わざわざ理を犯さずともよいはずだった。
紅蓮の瞳の色が落ちる。現れた金色の輝きは呆然として、離れた所で横たわる小さな骸に向けられた。
その表情がはにかんでいた時を思い出す。
(――この前はありがとう)
彼はぴくりとも動かなかった。
その瞳は開いていた。光はなく、ただ虚ろだけを映していた。薄く開いた唇は青みを帯びて空に向かい、熱を拒否し続けていた。
ふらふらとその隣に膝を落とす。紅蓮は微かな希望を抱いて腕を動かした。口元に掌を翳す、が、空気は動かない。
真っ赤に染まった首の包帯にも指を添えた。ぬるつく液体はまだ温度を置き土産に残している。けれど、確かな証は微塵も与えてはくれなかった。
彼の上に死が降り積もっていく。
(凌壽から助けてくれて。感謝してる)
声が聞こえたような気がした。
反響するその音の源を探して、紅蓮は辺りを見回した。
一面に広がる砂地と岩場が目に入る。だがどこにも生命の気配は見当たらない。彼の気配もどこにもない。
視線を元に戻す。黒髪が地面に散らばっていた。騰蛇より一回りも小さな身体の下で、砂がどす黒く染まっている。
もう認めざるを得なかった。
昌浩は死んでいた。
何か生命があれば彼は自身の能力によって命を繋いでいたかもしれなかった。だというのに、この空間には何もない。だから彼は傷を癒せずに斃れてしまった。
そこで思い至り、紅蓮ははっと息を呑み込んだ。
この異空間を創った凌壽の目的は、まさしくこれだったのではないだろうか。
最初からここが彼を殺すためだけに創られた檻だったとしたら。
丞按に中宮を連れ込ませたのもきっと偽装だ。どうして早く気づかなかったのか。元々凌壽の狙いは彼だったのだから、すぐにその狙いに気づくべきだったのだ。
気づいていれば、昌浩は死ななかった。
こんなに呆気なく死ぬことはなかったのだ。
(俺の命を拾ってくれたのは、騰蛇なんだ)
取り戻す術はない。彼の屈託も打算もない微笑みは、永久に失われてしまった。
(俺、騰蛇が好きだよ)
「……なぜ、俺を、庇ったんだ……?」
ぽつりと落ちた呟きに、六合が微かに眉を寄せた。
「騰蛇、」
紅蓮は見るからに動揺していた。六合とて何も感じないわけではないが、あの最凶たる騰蛇が眼前で衝撃を受けているのだ。その事実によって、六合はまだ冷静でいられることができていた。
おそらく昌浩は自分が死ぬことを覚悟していたに違いない。だからあんな言葉を六合に遺したのだ。
あの時耳元で囁かれた警告は、遺言。
六合は昌浩の言葉を思い出しながら、紅蓮の肩を掴んだ。
「離れろ、騰蛇。早く」
紅蓮は緩く頭を振った。聞き分けのない幼児のようだった。
昌浩が命を落としてどのくらい経つのだろう。まだ彼の骸に変化は起こっていない。ということは、これから変化が始まるのだろう。昌浩は一丈は離れろと言っていた、早く距離を取らなければならない。
理由を話している暇はなかった。掴んだ肩を引っ張る。筆架叉をしまった勾陳も紅蓮の背後に立って、そっと肩に手を添えた。
「……置いていくわけにも、いかんだろうな」
晴明が悲しむだろう。
勾陳の切れ長の瞳は珍しく痛みを湛えていた。細い呟きの後に首が振られる。感傷を振り払った声が、凛として響いた。
「騰蛇、立て。……六合、昌浩を運べるか。私は中宮を。なんとかして結界を破り人界に立ち帰るぞ」
「待て、その前に」
話しておかねばならないことが、と続けようとして、六合は紅蓮の肩を先程より強く引いた。血潮に濡れた指が昌浩から外れる。ようやく紅蓮は顔を上げて、六合を見た。
六合のよく知る凶将騰蛇は、そこにはいなかった。
初めて逢う男がそこにいた。いつも冷酷な眼差しを向けていた神将の姿はどこにもない。帰り道を忘れてしまった迷い子のような瞳が、六合を見上げていた。
六合は静かに狼狽した。
「……騰蛇」
紅蓮が眼差しを伏せる。動揺が伝わったのか、彼は静かに視線を逸らした。
「ああ……すまん」
彼の口から零れた謝罪に、六合は内心で驚いた。
こんな台詞を言う男ではなかったというのに。
その思いは勾陳も同じようだった。強ばった彼女の頬が、六合が受けたものと同じ動揺を物語っていた。
同朋に促され、俯いたまま紅蓮が立ち上がろうとする。
その時、指を引くものがあった。
ひゅっと息を呑んで、紅蓮は視線を落とした。
黒に近い褐色の指を、別の青白い指が握っていた。
天を仰いでいたはずの真っ黒な瞳が光のないままにぎょろりと動く。
眼が合った。
次の瞬間身体を襲った衝撃に、紅蓮は耐えきれず崩れ落ちた。
